>学校をつくろう!

  第85号より

 『バイクの上から那覇を見た』

                              ノンフィクションライター 瀬川 正仁
 私はアジアを旅するとき小型バイク(原付免許しかないので)を借りて移動することが多い。作家の寺山修司にいわせると、人間は何かを深めてゆくことに喜びを感じる「歴史型人間」と、広がってゆくことに快感を覚える「地理型人間」に分けられるという。この分類によると、私は完全に後者に属する。 そんな「地理型人間」にとって、バイクは旅をする上で重要なアイテムだ。
 小型のバイクは道路事情にかかわりなく最速で移動でき、気が向いたら、いつでもどこにでも止められ、町を観察したり、用事を済ませることができる。走りながら道を聞いたり、写真を撮ったりするのに窓を開ける必要もないし、方向を変えるのも簡単だ。
 ところが、日本にはレンタルバイク屋はほとんどない。あったとしても車並みに値段が高かったりする。だが、那覇では1日1000円ちょっとでスクーターを借りられることを知り、今回利用してみた。その結果、那覇はバイクに適した町だと感じた。
 まず、町の規模がバイク移動にちょうど良い。北京やバンコクのような殺気だった大都市で小型バイクに乗る気にはなれないし、小さな田舎町なら歩いても用が足せる。その点、那覇の町はバイクの良さが遺憾に発揮できる規模だ。冬でも暖かいので防寒用の装備がいらない。また、幹線道路が広いので、渋滞の間を簡単に縫うことができる。
そして強く感じたのは、渋滞の間を縫うバイクに対する車のドライバーの眼差しの優しさだった。急ぎたいヤツは勝手に急げばいいというスタンスで道を譲ってくれるのだ。こうした特徴は熱帯アジアをほうふつとさせられる。そんなこんなで、那覇の町を走っているうち、日本というより東南アジアの中規模の町を走っている気分にさせられた。
 ポルポト政権崩壊から15年あまり、カンボジアの首都プノンペンは電気のない町だった。年々、交通量が増えているにもかかわらず信号機は稼働しなかった。1990年代半ばになると、幹線道路が交わる交差点は珊瑚舎スコーレ前の与儀十字路よりはるかに交通量が多かったが、やはり信号はなかった。自動車、バイク、自転車やシクロと呼ばれる人力車、さらに歩行者や牛馬が渾然一体となって交差点を渡ってゆく。それでも事故は起きない。それをカンボジアの優しさという人もいたが、多様な交通手段がお互いにアイコンタクトをとりながらゆっくりゆっくり前に進んでゆく姿は、効率を優先する近代化によって忘れかけていた何かを思い出させてくれた。
 もちろん、那覇には信号機もあるし、社会も東南アジアに比べ遙かにシステマチックに動いている。それでも本土と比べ人の心にゆとりがあり、多様性をおっくうがらずにあたりまえのこととして受容し、それでいながら、私は私という毅然とした態度も感じられた。でも、もちろん那覇は「天使たちの町」というわけでもなかった。
 バイクを借りるとき、店の人がヘルメット入れの中からズシリと重い、奴隷の足かせのような鍵を取り出し、「駐車するときは必ずこれを後輪につけてくださいね」と言った。どこかで見たことのある代物だと思ったら、初めてカンボジアを訪れ、ホテルマンからバイクを借りたとき、同じような鍵を手渡され、同じ科白を言われたのを思い出した。
「駐車するときはこれをしていないと、100パーセント盗まれるよ」
 そのホテルマンは言った。
「100パーセント?」と私が聞き返すと、彼は少し考えてから、「そう、100パーセントだ」と真剣な表情で答えたのが強く印象に残っている。
 那覇では100パーセントということはないようだが、かなりの頻度で盗難が起き、実際、私も盗難被害に遭いそうになった。天使と悪魔が同居する町、那覇。それもまた熱帯アジア的なのかもしれない。


  学校の役割       その72

   「勇気を与える」を聞くと、いつも「この人、ちょっとエラそー」と思ってしまう。そんなことにいちいち目くじらをたてなくてもいいんじゃないかと思うのだけれど、「皆さんに少しでも勇気を与えることができれば幸せでーす」などとニッコリ言われると、やっぱりますます、そこに引っかかって、素通りできない。「届ける」だろッと、独り言を言っている。言って直ぐ、「イヤだねぇ、オヤジはぁ」が一瞬、電光掲示板のように頭の中で点灯し、フェイドアウトしてゆく。
 東日本大震災以後、「勇気を与える」をよく耳にするようになりました。「与える」は上下関係を前提にした言葉で、ベクトルは上から下に向かっている。上の者が下の者に対して使う言葉です。電光掲示板のスイッチになった「勇気を届ける」はその上下を外して平らにしたつもりですが、まだどこかおかしい。それは、「勇気は届けられるのかなぁ?」というあやふやな疑問が頭の片隅にあるからだと思います。そこで、「勇気を送る」にしてみます。やっぱり、「送れるのかなぁ?」です。「届ける」にも「送る」にも距離と時間があります。その間の「勇気」の保存方法が分からない。保存できないかもしれません。あやふやで、蓋を開けたら空っぽという可能性もあります。送られた中身は掴みどころのないものなのかもしれません。
 「勇気を与える」が素通りを邪魔している原因は「上から勇気を勝手にデリバリー」という傲慢さと曖昧さにあったのだと、「べらんだ事」はそこまで辿り着きました。べらんだ事というのは珊瑚舎のベランダから雲の様子を眺めながらとりとめのないことをポツリポツリと考えている時間のことで、徒然草の「よしなし事」をもじって自分で勝手に名付けているものですが、今日のべらんだ事は特に、気分をやりとりすることの曖昧さに引っかかって、素通りできないことに気づかせてくれました。
 「勇気を与える」の上下の関係はすぐに気づくのですが、そこに漂う曖昧さ、もっと言えば胡散臭さはすぐには気づきませんでした。「勇気を与える」を「勇気を差し上げる」と言い換えてみます。ますます胡散臭い。「勇気を頂きました」は素通りできるのですが、「勇気が出てきました」とか、「勇気づけられました」の方が「勇気」には似合いそうです。
 「勇気」とか「元気」とか「感動」は他人に渡そうと思っても渡せるものではなく、その人それぞれが持つ種から芽を出す類のもので、人から与えられて生まれるようなものではないのです。「勝手にデリバリー」できないのです。それにもかかわらず方々から「勇気を与える」状況があるということは、時代がやはり、わが身中心のモノローグ全盛ということなのかも知れません。
 こんなことを考えたのはその前段があって「言葉に気をつけよう」と自分に言い聞かせたことが最近あったからです。これはべらんだ事などとのんきなことは言ってられないようなものでした。
 フィールドワークのため珊瑚舎の夜間中学校にヤマトゥの学校の生徒が30名ほど訪れたことがあります。生徒と一緒に食事しながらおしゃべりしたり、授業のサポーターをして互いに楽しい時間を過ごしました。最後に彼らがお礼の気持を込めて沖縄の歴史にちなんで作られたダンスを全員で披露してくれました。受けるように振付けられたよくあるパターンでちょっと困ったものなのすが、夜間中学校の生徒は大喜びでした。
 最後に引率の教員が「沖縄の皆さんの中に入っていくための武器として一生懸命練習しました」と締めくくったのです。驚きました。「生徒を武器にするな!」「武器など持たせるな!」「沖縄に武器、持ち込むな!」言葉以前の教員の生徒観がダンスとともに如実に表れていて恐ろしくなりました。 (ほ)