>学校をつくろう!

  第76号より

   入学を祝う会を終えて
                                  高等部三年 中村 悠人

 入学を祝う会での自分の役割は、オリエンテーションでのエントモの助手だった。話し合いで役割が決まった時は「よっしゃー。今回は楽な仕事だー」と喜んでいたのだけれど、入学を祝う会の前日に、突然エントモにこう言われた。
「明日のオリエンテーションで『在校生から見た珊瑚舎』ってゆうのを、新入生に知ってもらいたいから、ユウトにとって珊瑚舎とは一体どんな場所かを話してほしいんだ」と。
 楽だったはずの仕事がいきなり難関となった。上手くしゃべれるか不安でしょうがなかった。前日の夜の頭の中は珊瑚舎のことが8割、残りの2割がメシとか「寝たい」とかっていうぐらい珊瑚舎のことばっか考えていた。  自分は、今からちょうど一年前に珊瑚舎に入った。「もう一年かー。早いなー」ってその時は感じたんだけど、思い返した一年は、すっごい濃ゆーい一年だった。
 一年間を初めの方からずーっと思い返していきながら、「自分にとって珊瑚舎ってどんな場所なんだろー」って考えて、思いついた事をケータイのメモ帳にメモしていった。
 自分にとっての珊瑚舎っていう場所。キーワードは『表現』だと思う。
 珊瑚舎には、文化祭のような演芸会のような学習発表会が三回もある。「まにまに祭」「とぅんじー」「うりづんなー」の三つだ。いづれもステージを作って、舞台発表がある。それに美術や紅型などの作品展示も。
 珊瑚舎には、ほんとにいっろんな所から、いっろんな人が来る。夜間中のおじぃおばぁもいるし、祭の日は、小っさい子もけっこう来るし、その中間ぐらいの人達も、みんな全然違う。そんな人達みーんなに、自分の表現を分かってもらうのってすごい難しい。
 祭の準備の時もそう。壁画をつくるにしろ、劇をつくるにしろ、なにかをつくろうとする時って、自分の頭の中にはイメージとか想いがあって、それを表現して相手にしっかり伝えたり、相手の表現を分かって、共有するのはすごく難しい。
 日常生活でもそうだけど、人によって表現の仕方とか全然違うし。 自分の気持ちを“表”に“現す”。相手の表現をちゃんと分かって、共有する。 珊瑚舎は人数少ないし、色々変わってるから、この『表現の難しさ』がいっぱい学べる。そんな場所。
 今年は10周年ミュージカルもある。また、濃ゆーい一年になりそう。      


     学校の役割       その63

   珊瑚舎スコーレは4月、開校10年目を迎えました。今年度末には「開校10周年記念 『春の学校・うりづん庭』」を国際通りの那覇市ぶんかテンブス館で開催する予定です。メイン企画のミュージカルの上演が珊瑚舎の施設では困難なためです。
 この企画を実現するために今年度は毎週木曜日がミュージカル作りのための時間になっています。夏休み前までにミュージカルの内容の目鼻がつくように午前中は脚本作りの時間に割り当てられています。
 みんながそれぞれ書いたあらすじをもとに何度か話し合いを持ちました。その結果、幕開けの場面と最後の台詞が決まり、その間を繋ぐストーリー作りの作業に入りました。みんなで出し合った13のキーワードをコンセプトにして作ることにしています。13の言葉は珊瑚舎の「学校をつくろう!」を切り口にして取り出した言葉です。
 自分・絆・変容・思い・視点・出会い・他者・表現・対立・別れ・誇り・あやまち・ハッピーエンドがその13の言葉です。どのようなストーリーが生まれて来るのか楽しみです。
 第1回「まれ人講座」にまれ人としてお招きした谷川俊太郎さんからうかがった話です。谷川さんが外国の詩人の方と連詩を作ろうとした際、極めて個人的な創作活動であり、完成された言葉の世界を作ろうとする詩作を個人ではなく集団ですることの意味を簡単には理解してもらえなかったそうです。谷川さんがおっしゃった言葉の通りではありませんが、そういった内容のことをうかがい大変興味をもったことを覚えています。
 講座では発句を谷川さんから頂き参加者全員で八句構成の連句(八連句)を巻きました。楽しかったです。日本語には連句などの集団創作文芸の歴史があります。全く勉強もしていない者が勝手なことを言っているのですが、その源は歌垣の掛け合いまでさかのぼることができるのではないかと思います。今でも子供達がよくやっている尻取り遊びは相手と音を重ねるのですが、歌垣は音と意味の両方を相手の言葉に重ね新しい言葉の世界を作ります。この面白さを知った僕らの先人達は長い時間をかけ、やがて連句という定型を作り出しました。歌垣は日本語圏以外にも照葉樹林帯の文化としてアジアの各地にあるようですが、不案内できちんとしたことは分かりませんが、連句のような形式は他の言葉に例を見ないもののはずです。さらに興味深いのは、日本語を母語とする谷川さん達が日本語以外を母語とする同行者に呼びかけ、ローカル性という言葉の宿命を背負った連句を突き抜けて、新たに連詩という緩やかな定型の道を歩んでいることです。一人では不可能な言葉の世界の多重層化、言葉による他者性との交響化の途上に立っているのです。
 こんなことを僕に考えさせてくれたのは、木曜日の9:00〜11:50の生徒達です。一つの形式、つまり始めと終わりを決め、その間を13の言葉をモチーフにしてそれぞれの生徒が物語りを作るということですが、それを共有した上で、大袈裟に言えば未知の部分に足を踏み入れています。今、個人個人がストーリーを作っています。作られたいくつもの物語を一つの物語として完成させるプロセスそのものが未知なのです。完成の予感があるだけです。 脚本が出来上がるまで、この形式を共有するという作業が続くはずです。
 定型としての連句が生まれるまでどれほどの形式の共有があったのか。多数決で出来上がったわけでもなく、一人の天才がすべてを解決したわけではありません。反発と共感を繰り返しながら言葉の可能性と高みへ手を差し伸べようとする意思があったからにちがいありません。
 珊瑚舎が10周年記念でミュージカルを上演する理由はいろいろありますが、まさにこの部分がその根幹です。生徒一人ひとりが自分を作る力を得るための手助けをするために珊瑚舎はあります。(ほ)