「沖縄研究・平和」2009
「沖縄研究・平和」 講師 宇根悦子
今年の専門部「沖縄研究・平和」の授業は生徒5人でスタートした。1、2人の年もあったから、それに比べるとやりやすい。
授業は楽しめることを心がけている。映像を見たり、クイズをしたり、ゲームをしたり、外にも出かける。
科目名に「沖縄」となっているが、沖縄に固執せず、国際的な課題もとりあげる。私自身もグローバルな視点で考えたいし、生徒にも考えてほしいからだ。
5月12日の授業は、那覇市内で開催されているカメラマン石川真生の写真展『フェンス OKINAWA』に出かけた。写真の鑑賞だけでなく、写真にかける思いを本人に話してもらった。
できるだけいろんな人の生き方に触れてほしいのも私の願いだ。他人の生き方に触れることで人生の選択肢が広がり、次の一歩を踏み出す原動力にもなると信じている。
6月5日には南部戦跡のフィールドワークにでかけた。嘉数高地、糸数アブチラガマ、平和祈念公園、魂魄の塔、と米軍が日本軍を追いつめ、住民が逃げ惑った後を時系列でたどった。次の授業でよっちゃんは「沖縄戦の真実に少し近づいた気がしました」と感想文に書いている。
5月末、私は南洋墓参団に同行した。「最後のチャーター便で行く…」とのキャッチコピーに惹かれた。行き先はサイパン・テニアン。通常のコースで行くと福岡経由か成田経由となり、費用も時間も倍になる。授業は1回休まなければならないが、このようなチャンスは二度と来ない。休講時間に観る沖縄戦関連ビデオを置いて旅立った。
サイパン・テニアンのことは南洋研究をしている友人からたびたび聞いていた。行ってみて「百聞は一見にしかず」を実感した。思い切って参加してよかった。サイパン・テニアンは戦前沖縄県民の入植地で、太平洋戦争で亡くなった人が多い島だ。あれから65年経つが、今も沖縄と無関係ではない。テニアンには米軍基地があり、沖縄の米軍基地が少しずつ返還されるにともない、玉突き状態で基地機能が移転されている。太平洋戦争時テニアンには、米軍の核爆弾が置かれ、そこから広島・長崎へと飛立った。その格納庫が残されている。基地機能の移転にともない、その地域は今年から一般の立ち入りが禁止される。私たちが行った時は、そこに立ち入る最後のチャンスとなった。その南洋報告を7月20日の授業で行った。
11月14日は辺野古、高江のフィールドワークを実施した。いずれも米軍基地の移設問題で困っている地域だ。
名護市辺野古で新基地建設反対運動を続ける人々は私たちを快く迎え入れ、ゴムボートで海上を案内してくださった。埋め立てが計画されている位置を確認しながら説明してくださった。途中、雨に追われ、ボートは平島の岩陰に入った。普段は近づかない場所らしい。おかげで、神秘的な岩場を体験することができた。
東村高江は遠かった。ヘリパット建設が計画されている入口にテントを張り、反対する住民が当番制で見張りを続けている。最初のポイントでは夫婦二人が当番を勤めていた。次のポイントでは初老の男性が一人で番をしていた。ほとんど毎日そこにいるという。辺野古と違いヘリパット建設計画地入口が分散しているので、見張りがやりづらいそうだ。次の授業で朋徳は「どちらも止めなければならない事だと実感し、深い恐怖のようなものが胸を打った」と感想に書いている。
授業は生徒のリクエストを聞きながら進めている。リクエストに応えることは、私にとっても学びのチャンスとなっている。
学校の役割 その62
前号で、授業を思索と表現と交流の場として作るためには、生徒一人ひとりが学校・教室を自分の場として感じ、その場に能動的に参加する姿勢が必要だという主旨のことを書きました。この点について少し触れてみようと思います。
能動的に参加する姿勢は珊瑚舎全体がそのような場として、生徒はもちろん教員に対しても開かれていなければなりません。それを端的に表す言葉が「学校をつくろう!」です。珊瑚舎は日常的にこの呼びかけを行っています。
生徒一人ひとりが自らの意志でその場に参加しなければ珊瑚舎は充実した場にはなりません。誰かが作ってくれているものではなく、今そこにいる者たちで作ること、作り続けることが必要とされる場です。生徒同士がお互いを「学びの同行者」として感じられるような場でなければなりません。
そのためには一つ一つの授業や行事などがそれぞれ孤立してあるのではなく、珊瑚舎の教育課程全体が有機的な関わりを持つ大きなワークショップのような場として生徒の前に広がっていなければなりません。珊瑚舎の教育課程には体を使う共同作業が多く組まれています。
身体性は重要なことです。能動的な身体が能動的な「思索と表現と交流」の場を作ります。「させられる」身体ではなく「はたらきかける」身体です。
明治以降の日本の軍国主義教育は生徒を「させられる身体」の中に閉じ込めてきました。さらに敗戦を経てその後訪れる高度経済成長を支えるための競争原理と管理主義教育により誰かが与えてくれる指示や正解を待ってはじめて動く「使役の身体」で生徒は学校生活を送ってきました。「使役の身体」は裏返せば「受動の身体」、さらに消費型都市文明の浸透と高度情報化社会の出現も大きく作用して、「消費の身体」、「独話の身体」、とどのつまりを例えれば、「ごろ寝の身体」、つまりごろ寝の範囲で手が届く行動と思考形態に陥ってしまいます。
山がんまりでの生徒たちの動きを見ていると「させられる」身体から「はたらきかける」身体への変容を見ることが出来ます。作業現場が自分の場として広がりはじめると、たとえば大工道具などを使いこなせるようになると同時に、次に続く作業への備えができ、自ら動き始めるのです。つまり、思索と想像力に呼応した体の動きが内面に準備されるのです。これは単に「山がんまり」での活動に対してだけではなく、日常生活の様々な場面に対しても現れてくるものです。
共同作業で一つの構造物を作ること、作物を手入れし収穫すること、それを調理してみんなで食べること、苦労な草刈を一日中してさっぱりした山がんまり会場を作ることなど、「山がんまり」には体を使う作業が待ち受けています。
「僕が初めてがんまりに来たころ、すでに『がんまり』はみんなの場所だった。多分、最初からそうだったわけじゃない。たくさんの人が週に1日がんまりに関わってきて、少しずつみんなの場所になってきたのだと思う。敷かれた石の一つ一つは誰かが敷いたモノで、隅に置かれた切り株は誰かが引っこ抜いたモノ。僕の知らない時間が「がんまり」にたくさん積もっている。それを見つけた時、僕はがんまりを特別な場所に感じる。」山がんまりについて書いた生徒の文章の抜粋です。
山がんまりに限らず、珊瑚舎にはとぅんじー遊び、うりづん庭、その他共同作業を必要とする活動が準備されています。その中身は生徒たちが作ります。
「思索と表現と交流」は授業の場だけのものではありません。「学校をつくろう!」とういう珊瑚舎の呼びかけそのものにつながっています。「はたらきかける」身体は何よりも他者とのかかわりの中で自分自身に働きかけるものなのです。「自分を創る力」を手に入れることが出来るに違いないと考えています。
(ほ)
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