がじゅまるしんかんちゃー(生徒、学生のコーナー)
「エコネット美(ちゅら)の3日間」
高等部1年 小松初音
思い返してみると、2泊3日という期間は短かった様に思う。去る日、6月の26日から28日、私達はフィールドワークでエコネット美(ちゅら)というキャンプの様なイベントに参加した。
あいにくの雨。山を下る道はぬかるみ、少しばかり足どりは重そうだった。目的の場所に到着した時の安堵に似た気持ちは今でも鮮明に覚えている。
薪を割り、風呂をたいて、食事を作った。雨で冷えきった体に、火はとても温かかった。
2日目。朝から片道30分程度の山道を上り、薪を下まではこぶ。二山ほどの薪はみんなで力を合わせたおかげで午前中には運び終わる事が出来た。手打ちの沖縄そばを食べる。その美味しい事といったらない。午後は海水浴をした。キレイな海。ジュゴンも泳ぐのだという。ウニをひろう。「ひろう」と言う表現は間違っていそうだけど、本当にそんな感じ。やまもりのウニは晩ごはんに。
その日の夜は、みんなで海に星を見に行った。雲でせばめられてはいたが、あの明るい星空はすぐそこに迫る夏を感じさせてくれた。友達とたくさん話しているうちに、少しずつ空は明るくなっていた。「あぁ、寝なくちゃいけない!」そう思い、少し浜辺で目を閉じたが、すぐに目覚める。空はますます明るさを増していた。
眠い目をこする3日目。ぼんやりした頭に、太陽の光はまぶしかった。
朝食を終え、草むしりをする。前日までの雨雲は何処へ飛んで行ったのか、沖縄のさす様な陽射しが首筋を焼いた。むしっては投げ、むしっては投げ、むしっては投げる。その作業に嫌気がさして来たくらいに、くさむしり終了。
みんな海へ向かう。
冷たい海水が気持ちよかった。
青空の色をうつして、海は見事に青かった。押し寄せて来る波が何かの生物みたいだった。
もちろん、帰りの車の中では浅い眠りにつく。その時になってやっと疲れを感じた。
深い深い緑と、すきとおる青色にかこまれた3日間は終わりをむかえた。自然と共生する、その大切さ、すばらしさ、それから友達と過ごす事の楽しさや幸せをいっぱいつめこんだ日々だった。
きっと忘れない。忘れたくない。そんな3日間。
「ホッシーおじさんとJust meet!!」
卒業生(和光大学生) 金 そな
友達の笑(しょう)ちゃんとミスドで、最近読んだおもしろい本や、出会った素敵な人たちの話をして盛り上がっていた。わたしは珊瑚舎にいたことや、そこで出会ったおかしくて素敵な人たちの話をした。彼女はそんな学校があるのかと驚いていた。ホッシーの話になったとき、突然笑ちゃんが、「そのホッシーって人を和光に呼ぼうよ!」と言いだした。驚いたが、テンションが上がっていたため、「そっか、そうだね。ホッシーに電話してみるよ。」と答えていた。そこからはとんとんと話が進んで、ホッシーを最初のゲストにして、自分の知ってる素敵な人を定期的に呼んでお話してもらい、自分の視野や世界を広げるための出会いの場「Just meet!!」が発足した。
ホッシーに電話をしてみるといい返事が返ってきた。わたしたちはチラシを作ったり、貼ったり友人に配ったり着々と準備を進めていった。笑ちゃんは友達100人いるような、明るくて、人が大好きな子だ。200人以上学生がいる大講堂での授業の前に5分くらい宣伝をしたりもした。チョー緊張したけど、彼女がいてくれて本当に心強かった。はっきり言って一人ではムリ!!
今回の「Just meet」は興味を持った人は誰でも来られる会にしたかった。だから最近友達になった聾学生にも是非来てほしかったので、手話が上手な3人の聴学生に手話通訳をお願いした。ここまで本当にたくさんの人の助けがあった。あとは会場の装飾きらきら。折り紙で花輪を作ったりTシャツを作ったり段ボールを切り抜いてロゴを作ったりしながらついに当日を迎えるのだ!
当日、ぞろぞろと30人以上が集まった。聾の友達もたくさん来てくれた。ホッシーおじさん、みんな怖くないかな?楽しんでくれるかな?ちゃんと心に響くかな?たくさん心配があったけど、いざ始まってみればホッシーワールド炸裂で、すごくおもしろかった!教職をとっている学生も多かったので授業とは「思索・表現・交流の場」だという話は新鮮だったみたい。みんなの表情も素敵で嬉しかった。
特にアンケートでも好評だったのが、「自立」について。経済的にも精神的にも人に頼らないことが自立と思われがちだが、ホッシー的自立は、人は一人では生きていけないのだから、他人が必要だと認めること。支えられていることを実感して、当たり前と思わずに「ありがとう」と思うこと。らしい。パラドックシュー!笑ちゃんの感想は「『すごく楽しかった!Just meetっていう場を与えてくれてありがとう、次も楽しみにしてるよ!』っていう参加者の声が多かったことが嬉しい。ホッシーおじさん最初は怖くて緊張したけど(やっぱりね)、自由と平和の話が面白かった。授業の話も、来週に模擬授業をするからすごく参考になった。でも実際は難しそうだなぁ。まさにJust meetだった!自分は普通の学校に当たり前のように通っていたから、珊瑚舎に遊びに行きたい。また会いたい。」でした。
学校外からも珊瑚舎のお友達が来てくれて嬉しかった。これからもホッシー「ゆんたくひんたく」がんばってね!
学校の役割 その59
今年度の入学を祝う会の終了後、「真南蛮 さんぴん食堂」で講師会議と懇親会がありました。今年度からゲッチョに代わって高等部の自然講座を担当する鹿谷麻夕さんもパートナーと一緒に参加して下さいました。麻夕さんは貝が専門です。
懇親会もたけなわ、いろいろな方とゆんたくを楽しんでいましたが、パートナーの方が甲殻類とりわけ、エビカニの専門家だと分かると、生きもの好きの僕は彼を独り占めにして、鹿谷エビカニワールドにかぶりつき状態になっていました。エビカニは見るのも食べるのも飼うのも、話しだけでも、どれもこれもオイシイです。
どんな生きものの話題でも、僕の行き着くところは「どうしてオマエはそんなオマエなの?」になってしまいます。オウギガニの仲間の生殖器の話にも驚いてしまいました。「どうしてオマエはそんなオマエなの?」でした。雌雄の生殖器をたとえて言えば、複雑極まりない錠前と鍵、しかもそれが腹部に左右対になっておさまっているとのことです。後日、専門書を持参してくださり、オスの生殖器の図を見せて頂きましたが、種によって千差万別、めまいを起こしそうになりました。
ところが、それよりもさらに興味深いことにいつも出くわします。おびただしい数のオスの生殖器を根気よく観察しそれを正確に描き、本にまでしている生きものがいるのです。そう、ヒトです。いつも「どうしてオマエはそんなオマエなの?」です。この問につき合ってもう随分になりました。
オウギガニに対する「どうして…」は感嘆文でもあります。オウギガニはオウギガニの自然、つまり自ずから然りを生きていて動じることはありません。口を差し挟む余地はありません。漱石の「草枕」の中の一生鳴きつくして果ては雲の中で消えてなくなる雲雀の自然です。ところが、ヒトに対する「どうして…」は、感嘆ももちろんありますが、僕は当事者のヒトですから、殆ど疑問文です。ヒトはヒトの自然に悩みます。自らの自ずから然りに迷います。もう、殆ど読まれていないのではないかと思いますが、中野重治の「萩のもんかきや」の紋かき職人などはオウギガニや雲雀のように、人の思惑から離れて、自ずから然りを生きるヒトの姿を捉えようとしたものかも知れません。
宮沢賢治は自身を「わたくしという現象」と言いました。生命現象の過去現在未来、進化の過去現在未来、種の過去現在未来、その膨大な流れと広がりがあります。あたかも地球を覆い、さらにそのかなたにまで広がろうとするオーロラのように、その襞の一部、さらにその一点で「オウギガニという現象」が明滅しています。「雲雀という現象」が明滅しています。「ヒトという現象」も瞬いています。それらの無限の瞬きが交差するその只中に、賢治流に言えば、「私という現象」が生まれます。これが厄介で、「どうしてオマエはそんなオマエなの?」という問いを生むことになってしまいます。「私」はヒトを人間にしました。
人としての自ずから然りをいろいろ考えて見ました。スコーレという言葉は、もともとは暇とか余暇と言う意味のギリシャ語です。だから、××スコーレと名付けられた保養所なども最近あちこちあります。そのスコーレがやがて、人々が集い学び合う場、スクールの意味を持つようになります。この意味の変容はとても興味深いものです。生きる時間の殆どを摂食、繁殖、休息に当てていた諸々の生命活動の中の、その一つであるヒトという種が暇や余暇を手に入れ、学ぶ場を作っていくのです。「珊瑚舎スコーレの教育」にはこう書かれています。「人は学ぶ生き物です。それが人の自然です。」(ほ)
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