2008年度高等部2・3年生の平和学、専門部・中等部・高等部1年生の紅型を受け持って下さった講師の方から原稿を寄せていただきました。
「悩みつつ学んだ 真の学び舎 珊瑚舎スコーレ」
平和学講師 武田富美子
今年もうりづん庭が終わり、卒業生が巣立ってゆきました。私も一緒に、珊瑚舎スコーレを巣立ちます。(以下、珊瑚舎=珊瑚舎スコーレ)
2年前、ゲッチョ先生から「珊瑚舎の講師をしてほしい」と連絡があったとき、「ええっ?私が?」と不安でした。珊瑚舎の講師といえば、「すごい人たち」というのが私のイメージだったからです。
生徒たちの最初の印象。入学を祝う会で、ホッシー校長の「では、生徒たちがバラバラのパラパラを踊ります」という紹介で踊られたパラパラ。他の生徒が音楽にあわせて懸命に踊っている中で、ひとり大きな体の生徒が、まったく他の人と違うことをしていました。ところが曲が終るとき、彼が真ん中で両手を天に大きく広げて立ち、他の生徒たちが片膝をついて彼に向かって手を差し伸べるように取り囲んだポーズは、胸をつく美しさでした。「この生徒たちはスゴイ!」この人たちの一員になれることに、期待が高まりました。
高校2・3年生の平和学講座で環境問題担当。これが私の珊瑚舎での仕事でした。
すぐにこれまでの高校、大学での授業方法がここでは全く通用しないということが分かりました。40人のうち一人ぐらい寝ていても、他の生徒が私のほうを向いていたら、私の授業のせいだとは思えません。けれど、8人ほどしかいないのに誰かが寝ていたら、「どうしたら起きてもらえる授業ができるだろう」と悩まざるを得ません。次第に、「私が授業をするのではなく、彼らに授業をやってもらおう」と考えるようになりました。私自身が教えるときに一番学ぶからであり、また彼らは協力することで学びあうだろうと思えたからです。テーマを決めるのも大変で、紆余曲折の末「ファストフードとゴミ問題」ということになりました。ひとつずつステップを進めていくために、かなり待たなければならないのは「いらち」(京言葉:待てないですぐイライラする人のこと)の私には修行でした。珊瑚舎のスタッフやこの授業以外の生徒、先生たちの助けを借りて、授業発表にこぎつけたのでした。これはDVDに残してあります。私の関わらないところで、生徒たちがいろいろ工夫していたのが、授業発表で分かりました。彼らは毎年、うりづん庭で授業をしていて、こういうことは得意だったのでした。
1年目は、あれこれ悩みながら終ってしまいました。あの手この手を試したという意味では「我ながらよくぞ」と思え、私自身がとても学んだという実感があったのですが、果たして生徒たちに何かを残すことができたのだろうか。
この反省の上に、2年目は、1年を通して系統性のある授業にしたいと思いました。それで「戦争って、環境問題と関係ないと思ってた」(田中優著・岩波ブックレット)をテキストにすることに。生徒は4人でした。
相変わらず、生徒の興味と私の授業が噛み合っているのかと悩みつつ、時が過ぎていったのですが、テキストの著者、田中優さんの講演とワークショップに生徒と共に参加したのが、一つの転機になりました。平和と環境を考えつつ一泊二日で南部一周約65kmを歩くという「スローライフ・ピース・ピクニック」プランができ、実行したのです。ただし、1日目はお金を使わないという条件で。
食糧・水・寝袋を持って、話をしながらただひたすら歩く。二日目は無口になり、足にマメをつくり、筋肉痛になりながらも、それぞれが限界まで歩きました。ある意味つらいことだったはずなのに、とても充実した二日間となりました。記録集をパラパラとめくるたびに、楽しさが蘇ってきます。
このピクニックを通して、私を含めたそれぞれが何かを学びました。それが何だったのか、まだ確かな言葉にはなっていません。むしろ、今は混乱をしているのかもしれません。けれど、日頃経験することの出来なかった、生きるための何かを得たという確信が私にはあります。テキストは、結局数ページしか進みませんでしたが。
珊瑚舎の2年間は、「教育とは何か」を考え抜く日々でした。非力な私にはまだ結論は出せていません。ただ、珊瑚舎の生徒たちはたくさんのヒントをくれました。ここでは、私ひとりが生徒たちに何かを与えようと焦る必要はなかったのです。一年たつと、生徒一人ひとりがとても変化し、成長したことに驚かされます。みんなが居ることで、講師も含めてここに居る者が成長していく。珊瑚舎はそういう場をつくることに成功しているのだと思います。珊瑚舎は現在の公教育の閉塞性をより鮮明に映し出す鏡のように感じます。その閉塞に風穴をあけるのもまた珊瑚舎ではないだろうか。
4月からは故郷に戻り、立命館大学で教員養成の仕事に関わります。ここでの経験を活かして、教師を目指す学生たちと一緒に考えてゆきたいと思っています。「学ぶとはどういうことか」「教えるとはどういうことか」「学校とはどういうところか」そして、「人間とはなんだろう」と。私の新しい生活がどうなるのか、まだ予想がつかないのですが、学生たちと一緒にここに戻って来ることが今の私の夢です。 (ふうみん)
「紅型の授業を通して」
紅型講師 中鉢さわ
城間びんがた工房を通して、珊瑚舎を知って2年間紅型講座で昼間部の皆と一緒に、時間を過ごしました。
絵を描くのが好きな人、細かい仕事が好きな人、型ほりが苦手な人・・・皆の数だけ取り組む気持ちが違っていて、それぞれの気持ちで紅型の行程に向かい合っているのを見ていると、何だか楽しい気持ちになりました。
『手は心そのもの』という言葉を聞いたことがあります。一本の線を迷いながら描く、決める・・・。いろんな手の仕事の後に、それぞれの心の跡がちゃんと見えてくるから不思議です。例えば何年後かに作品を前にして、その時の向き合った時間を思い出すことができたとしたら、とても嬉しいことのように思います。大切なのは完成に向かうまでの過程だったり時間だったりするのかもしれない。
「型ほりって、少しずつしか進まなくてイライラする・・・」と言っていた子がいたりして、私もその気持ちは良く分かる。早く、早く・・・と思っている時は、そんな気持ちになります。でも、紅型の仕事をして気が付いた事は、近道はなくて、遠まわりもないんだなということ。今の0.1ミリの連続が一本の線になって型紙が出来るんだと思うと、心を落ちつけて、“今”に集中しようと思えます。どうしたって少しずつしか進まない行程なんだから、あせらなくても大丈夫だよ、と、その子と話をした事をふと思い出しました。一枚の型紙や、布や・・・いろいろな何か、の後ろにある「時間」を感じながら、皆がそれぞれ元気にいてくれますように。珊瑚舎の皆さん本当にありがとうございました。
学校の役割 その58
僕には宝物がいくつかあります。その中のひとつ。開校5周年記念で生徒達が上演した「月夜の相対性理論」の中でイ・ジョンミさんが歌った「風の歌」。宝物です。
第一回のまれ人講座にお招きした谷川俊太郎さんがその場で詠まれた発句、「種子はこぶ 風はまれ人 土はきみ」をもとに、いろいろとややこしい時間を経て「月夜の相対性理論」の脚本は出来上がったのですが、「風の歌」の詞もこの発句の中に吹く風の心地よさから生まれたものです。
「月夜の相対性理論」で歌われたオリジナル曲はすべて音楽講座の講師の屋良さんが曲をつけてくれました。「風の歌」もそのうちの一つです。書き上げた詞をお渡ししたら、もう翌日には出来上がっていたのにはびっくりしました。屋良さんがピアノを弾きながら歌ってくれるのを聞いているうちに、別世界へ連れて行かれたような気分になり、くらくらめまいがしました。自分の書いた詞が曲になって目の前に現われることなど、初めてのことですから照れ臭さと嬉しさでおかしなところへ舞い上がってしまったのかもしれません。僕にとっては、ダアレも知らないボクだけの大切な歌です。
屋良さんは音楽講座をしばらく休んでいます。癌と戦っている最中です。入学を祝う会には生徒たちの歌の伴奏をするために痛みをおして来てくれました。生徒達と歌いながら3曲伴奏して「ホッシー、きついから帰ろうね。最後までいられなくて、ごめんね。」と言って珊瑚舎の長い階段を降りてゆかれました。ゆっくりゆっくり降りて行かれました。きつかったはずです。その何日か後に再入院され、再手術を受けました。癌細胞とモグラタタキをしているような状態です。きっと、不意に襲ってくる激痛を「コンチキショウ!」と一喝して、リハビリに専念しているはずです。屋良さんの「コンチキショウ!」はいつも笑顔の「コンチキショウ!」です。タフな人です。
「ホッシー、ぼくはピアノを弾きたいの。でもまだ、ピアノに弾かされているんだよ。だから、毎日練習して、いつかピアノが弾けるようになりたいさぁ。」沖縄県の文化功労者です。びっくりしました。今きっと、ベッドの上で退院後のライブやレコーディングのイメージを思い描いているに違いありません。不屈なんていう怒り肩の言葉は似合わない人柄ですが、不屈の人です。
前回の術後、快復して、「珊瑚舎の生徒達からたくさんのことを学んでいるし、いつも元気とパワーをもらっているよ。だから、こっちに来るのは苦にならないよ。いつもありがとうの気持ち。」以前、教室の隅でゴロンとしている生徒がいたので、ぼくがそれを話題にして「すみません」と言ったら、「叱ったら音楽が嫌いになるよ。音楽を嫌いになってもらうために授業をしてないよ。教室にいてもらえばそれで充分だよ。耳からみんなの声が入って来て、そのうち立って、みんなと歌い始めるのを楽しみにしているよ。」実際、いつからか立って笑顔で歌っていました。
珊瑚舎の音楽講座はコーラスの時間です。中等部、高等部、専門部全員が参加します。その週の授業の締めくくりはみんなで歌って終わりにしています。入院中は屋良さんのお弟子さんが授業を担当してくれています。事務局にいると彼らの歌声が聞こえてきます。もう、9年近くこうして聞いていることになります。珊瑚舎のその時々の状況が聞こえて来るようです。
このところ、オリジナル曲が生まれていません。みんなで詞と曲を作って屋良さんのところへ届けようということになりました。コーラス用にアレンジしてもらって屋良さんが授業復帰したときに一緒に歌うことにしています。
生徒と屋良さんが過ごす時間の中に宝物が生まれていることを願っています。 (ほ)
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