>学校をつくろう!

  第66号より

  インドネシア日和
                      専門部東南アジア課程 藤井 啓
                                  (インドネシア留学中)

 先日、大学の合同企画で二日間のJAPAN FESTIVALが行われた。ある大学のキャンパスが会場で、たこ焼きやら浴衣のスタジオやら日本に関連した屋台が並んだ。金魚すくいもあった。その祭りの舞台で踊った。   D"JHO(ジョー)という踊りグループがある。De Japan Odori Horicの頭文字を取って呼んでいる。日本の踊りを踊る。30人弱いるメンバーのほとんどがガジャマダ大学というとこの学生で、日本人留学生も何人かいる。最初はジョグジャカルタの日本人会の新年会に出るためだけに集まったらしい。そのときは日本人留学生だけだった。また踊りたいということで次の機会を狙っているうちに人数も増え、いくつかのイベントにも出演し、新聞やらテレビやらでも取り上げられ、スラバヤという都市で行われるYOSAKOI大会にも出場して2位をもらい、首都のジャカルタへも行き、そうこうする内に今も続いていると言っていた。踊りのレパートリーはソーラン、ヨサコイ。それと最近完成したYosakoi Soran、エイサー。9月からエイサーを教えるということで参加し始めた。そのことは出発する一ヵ月半くらい前から話があったが、踊りを授業以外でやったことはなく、実際のエイサーも近所の道じゅねーで一度見たきりだった。幸い珊瑚舎には去年までエイサー部(叩部)があったのでにわか仕込みながら教えてもらい出発した。
   D"JOHに参加した日、ちょうどYosakoi Soranの練習が新しく始まった。振り付け係の人が作ったオリジナル。カウントを取り少しずつ動きを覚え始める。運動量は多くなかったが、ちょうど断食初日でもあった。断食明けの放送を合図に一斉に買ってあった水に群がった。練習は週2日でイベントが近づくと増やす。エイサーは新しい踊りがある程度進むまで保留になった。始めたのはレバランの一週間ほど前。レバラン前後は休みになるので9月中に一度練習することにした。全員がYosaokoi Soranとの両立するのは難しいので、5人でスタートすることにした。ただ、手違いで音源がないままのスタートになった。音源をインターネットで探しても見つからなかった。とりあえず工工四だけをメモし、弾いて合わせることにした。カウントを取りながら踊る練習をしていない。動きの順を教え、ポイントを言い、唄に合わせる。あいまいな箇所は思い出すまで待ってもらうか、統一するかした。他の踊りはカウントを取りながら練習してきたので難しいと言われた。動き自体は少ないので、すぐに覚えた。10月の終わりに大学の行事でエイサーを踊ることが決まった。一曲を踊ることにした。
   このエイサーの踊りは元々、佐敷の津波古という地区の青年会から珊瑚舎のエイサー部が習ったものだと聞いている。しゃがんだり回ったり忙しい動きだが、流れに無理がないと思った。曲げたら伸ばし、上げたら落とす。重心を移動させれば動きが自然についてくる感覚で踊れるから心地よく踊れる。拍を取りながらでも踊れるけど、やはり唄に合わせて踊ったほうがしっくりくる。
   レバラン明け、練習再開。音源を沖縄から送ってもらったがまだ届かない。三線を練習したいという人がいたので基本的なことを教えると何日かエイサーの曲を練習してきた。当日は彼の三線の横で自分が唄うことにした。10月の行事ではヨサコイも踊ることになったので練習し始めた。手数が多い。始め混乱したが8拍ずつに動きが区切られているので覚えやすい。本番では鳴子を持って踊る。大勢の鳴子の音と次々に変わる動きが豪華。レバラン明けから本番まで練習日数は多くなかった。練習の時、ついつい三線に時間を費やしがちになった。
   当日、会場は野外。暗い中、キャンプファイヤーの前で踊る。衣装はヨサコイに合わせた。沖縄から持ってきたパーランクーという手持ち太鼓を使う。足りない分はインドネシアにあるトロントンという似たような太鼓を借りた。紹介をもらい、始まった。が、どうも合わない。唄も多々間違えた。ボロボロだったがすぐにヨサコイが始まるので反省する時間はない。後で落ち込んだ。
   11月のJapan Festivalでは2日に分けてヨサコイとソーラン。エイサーとYosakoi Soranを踊ることになった。音源が届いたので今回はCDを使うことにした。エイサーは2曲踊る。人数を9人に増やした。途中途中カウントをつけて練習した。イベントの2週間前からは毎日練習することになった。まだソーランを覚えてなかったのでYosakoi Soranに加えて練習した。ソーランは繰り返しが多いので難しくはないが一番体力を使う。膝を使うので何日か踊っていると痛くなった。フォーメーションの練習も始まる。エイサーは動かないのでポジションだけ決めた。途中でエイサーに練習だけでも参加したいという人がいて一緒に練習した。踊っていると一人一人にクセがある。直すべきなのだろうけど、基準は分からない。動きは合ってきた。もちろん間違えたりもするけど。エイサーの動きを十分味わうことが大事かなと思う。Yosakoi Soranの微調整がイベント前日に終わった。
 1日目はヨサコイとソーランを踊る。直前、舞台裏に集まり全員の手を重ね気合を入れた。「D"JOH!!」の掛け声。ヨサコイが終わり、ソーランのフォーメーションに移る。終わりに近づくにつれ声が大きくなる。最後の瞬間、それよりも大きな歓声と拍手が沸いた。退場する。この日、エイサーに練習だけ参加していた彼も一緒に踊ることになった。2日目。昨日よりも出番が早い。全員が集まりきる頃には準備を始めている。メイクをする。自分では描けないのでやってもらった。最初はエイサー。始まる前に昨日と同様に手を重ね、声を合わせた。曲が始まり踊り始める。揃った動きが目に入った。後はただ踊った。「姿勢、礼」で退場し、衣装を替える。四方に分かれスタンバイした。曲に合わせ入場。お客は昨日よりも多い。何を考えながら踊ったかは忘れた。周りを見ずとも合う声と動きが嬉しくもあり、ただ楽しくもあった。
   次の大きなイベントは再び来年のスラバヤでのYOSAKOI大会に出場すること。その時にはインドネシアには居ない。と思う。メンバーのお父さんの関係で、12月の頭にジャカルタでイベントがある。D"JOHからも10人連れて行ってもらえることになっている。自分も行けることになった。そのイベントを最後にしてD"JOHと別れる。踊ることは楽しいな、と何回も思った。とりあえず沖縄に帰ったらちゃんとエイサーを踊れるようになろうと思っている。


  学校の役割        その56

   ヤマトゥの大学に招かれて学生達に学校教育について話すことになっています。参加を呼びかけるポスターには
  「――学校に何ができるか?
  私たちに根本から問いかけてくる学校があります。
  教職の授業をとっている人もとっていない人も星
  野さんに出会ってほしいと思います。」
と書かれているのです。
   (うーん。これはケッコウなプレッシャーです)
 「根本から問いかけてくる学校」とはどう言う学校なのか、自分でも考えなくてはなりません。学校教育の中核は授業ですから、授業というものについて考えるのが根本を考えるためには、まず必要なことです。しかし、今回は別の切り口から考えてみたいと思います。いずれにしろ授業についても同じようなことが言えるものと思います。
 先日、「全国アートNPOフォーラムIN沖縄」という集まりがあって、パネラーとして参加しました。アートNPOの集まりで学校の話をするのはちょっと違うかなとも思いましたが、多彩な表現の授業があり、その成果の発表をいろいろな形で行っているのでパネラーを依頼したとのことでした。
 珊瑚舎は学びをプラグマティックには捉えていません。表現系の授業が多いため、将来芸術関係の仕事に就きたい生徒のための学校、芸術系の大学に進学するための学校と思われていることもありますが、そうではなく、入学した生徒が自分の力で自分を創るための手助けをしたいと考えている学校です。学ぶ目的を生徒の外側に置くのではなく、生徒自身の内側に置くことを大切にしたいと考えているのです。そう考えた時、論理的な思考で状況や対象(自分自身ももちろん含んでいます)を捉えようとすることと同時に、感性に基づく表現で状況や対象を捉えようとする営みも同じように重要なことだと考えています。表現系の授業は多くなります。
 学ぶ価値を生徒の外側においている学校が多い日本ではオルターナティブな学校と思う方が多いかもしれませんが、僕は中等教育までは珊瑚舎のような考え方のほうが大切だと考えています。オルターナティブではなく、スタンダードです。
 何号か覚えていませんが、以前この「学校の役割」に「人は愛するために学ぶ」と書いたことがあります。今思い出すと「あれまあ、そんなこと書いちゃったの」ですが、森羅万象に手を差し伸べ、それらと程よい距離を保つための知性と感性を手に入れるプロセスそのものが学ぶことであり、それは自分や他者を愛することにつながります。
 フォーラムでは、ディスカッションの後、会場からパネラーに対して質問がありました。いろいろあったのですが、アーティストが食い扶持をなかなか稼げない状況に対してコメントをして欲しいというものがありました。
 僕はアーティストというのは、生き方そのものの問題であり、食い扶持云々とは別のことで、珊瑚舎で学んだ人は皆アーティストになって欲しいと願っている、というようなことを言いました。世の中にアーティストが増えれば、今より世界はもっと平和になるはずだとも付け加えました。
 アートとは、この世に存在しなかったさまざまな形や状況を知性と感性をもとに表現したものであり、しかも実利的な価値とは無縁の位置から生まれるものです。アーティストはそのような営みが持つ価値を生活の中に位置づけ、自らも表現者として他者の前に立つ生き方を求める人だと思います。
 珊瑚舎が作ろうとしている授業はアートの一つの形といってもいいでしょう。生徒、教材、教員の3者が、思索と表現と交流から生まれる巧まざる知的、芸術的な場を出現させるものです。その場に参加すること自体に価値があり、その価値は決して他の価値に置き換えることは出来ません。(うーん。根本はまだ遠い)  (ほ)