「卒業を祝う会」より
3月9日に行われた「卒業を祝う会」で星野から卒業生におくられた言葉と、卒業生から珊瑚舎スコーレにおくられた言葉を幾つか紹介します。
「坂本楽君が珊瑚舎スコーレ高等部を
今日、卒業することを
みなさんと認め合うための辞」
きみは自分ではかかえきれないような自分にたじろぎ、自分をもてあましていました。入学して四年半、無為に流れて行く時間と思ってもしかたのないような時間がたくさんあったはずです。しかし、時間の節目は不思議です。卒業を間近にしたわずかな間に、輪郭をともなった時間が現れ、きみは自分のことばと自分の声をつかみ始めました。今という時間はその無為と思われる時間の連続性の中で作られていたのです。もちろん、君の宝物である自分に対する誠実さとおだやかさがそれを可能にしているのです。学びましょう。愛するために学びましょう。
「珊瑚舎へ」 坂本 楽
4年半当たり前のように通ってきた珊瑚舎を卒業する。といっても卒業と言う言葉がどういう意味なのか根本的な所で理解できていない気がする。正直あまり実感がない。それともこの文章を読む時には理解できているのだろうか?ともかく自分は卒業するんだと自分に言い聞かせてこの文章を書く。
珊瑚舎で学んだことは数え切れない程の多くのものではなく両手で数えられるいくつかの大切な言葉だった。とても嬉しかったりとても楽しかったり寂しかった時間の中で完成することのない自分をつくり続けていたんだと思う。思い切り背伸びをしてどうカッコつけたら本当の自分になるのかと、あっちに行ったり、こっちに行ったりずっと迷っていた。でも今、本当の自分はいつもココにいて、その自分がいくらちっぽけでもカッコイイものに憧れ続けるんだと思える。4年半という長かったのか一瞬だったのかわからない時間がたってやっとスタート地点に立てた気がしている。
珊瑚舎の「学校をつくろう」という言葉は最初、場を作るという事だと思っていた。だが学校をつくる、場をつくるということを通してぼくは自分にむかい合う、自分を知る、という事が出来たと実感している。その喜びを今かみしめる事が出来る。珊瑚舎スコーレありがとう。
「山田ヨシ子さんが珊瑚舎スコーレ夜間中学校を
今日、卒業することを
みなさんと認め合うための辞」
ある日、あなたは珊瑚舎の三階の窓からじっと外を見つめていました。戦争が終わった後、幼いあなたが連れて来られた収容所がそこにあったそうです。学校へ通う機会を奪われていたあなたは、六十数年後、その収容所のすぐ近くにある珊瑚舎でこつこつと学び続けました。そうして高校への進学も可能になりました。
三年前、あなたは学ぶ喜びの時を刻む時計の針を動かし始めました。この時計を動かし続けましょう。この時計を動かし続けましょう。
学びましょう。愛するために学びましょう。
「珊瑚舎へ」 山田ヨシ子
珊瑚舎へおそる、おそる入学してはや、三年、もう三年にもなるの、まるで、人ごとみたいに実感がわきません。長い間はりつめていた、心のわだかまりが、溶け始めました。これもひとえに学びやの道を開いて下さった、校長先生や関係者の先生方のたまものと、言葉ではいいつくせない気持ちでいっぱいです。
珊瑚舎での日々は、心やさしいりっぱな先生方や仲間にもめぐり合い、いろんなことを、体験させて頂きました。毎日が楽しい学園生活でした。そこを去るにあたり、長い間の心のあゆみをウチナー口でつづってみました。
戦争世(いくさゆ)のたみ(ため)に 墨(しみ)ならん我身(わみ)や
人に生まりとて 他人(ひと)なみんならん
情きある恩師 学舎ゆ作て
我(わ)した仲間(しんか) 心はりばりと
学ぶうりしゃ いちむいちまりん さたゆぬくさ
三年間、おせわになりました。有りがとうございました。
学校の役割 その52
3月17日、修学旅行に出かける夜間中学校の生徒を空港で見送った後、沖縄県教育委員会に行ってきました。懇談の場を設けたいという要請があったためです。
懇談は20分ほどで終わりました。教育委員会から伝えられた内容は、2008年度から、珊瑚舎スコーレ夜間中学校の卒業生に対し卒業を認定するというものでした。
市町村の教育委員会は珊瑚舎スコーレ夜間中学校に入学した生徒で希望する者に対して、住民登録している校区の公立の中学校に学籍をつくり、入学を許可するのですが、実際には生徒は珊瑚舎に通学します。珊瑚舎の校長は在籍中学校の校長に学習内容を報告し、それをもとに在籍中学校の校長が卒業を認定するというものです。卒業証書は在籍する公立中学校のものです。
2006年度、2007年度は「卒業に相当する」特例措置として、進学希望する卒業生には県内の定時制、通信制高校に限って受験資格を認めていましたが、進学を希望しない卒業生は相変わらず義務教育未修了のままで、履歴書には中学校卒業と書けないものでした。正式な卒業を認定する方策の実現を要請をしていましたが、それが具体化したことになります。2008年度からは履歴書に中学卒業と書けることになり、沖縄県はもとより、日本全国の高校の受験が可能になるわけです。課題はまだありますが、画期的な内容です。
かねてから、制度の側に人を押しやるのではなく、制度の側が人に近づくことが制度の役割だと言ってきました。珊瑚舎スコーレという制度にも当然これはあてはまることですが、今回は、様々な働きかけの結果、学校教育制度が人の側に近づいたわけです。
別の話題。ヤマトゥの大学の教育学部の教員の方が去年のうりづん庭を2日間見学しました。「今、日本で一番面白い学校は沖縄の珊瑚舎だよ」と知人から聞いて訪ねてくれたのです。さまざまな発表を見て、生徒たちの学びに対する姿や表現の豊かさにいたく心が動いたそうです。なぜそういう学びが可能なのかを探るため、数ヵ月後、ビデオカメラマンを伴って一週間、珊瑚舎を取材しました。今年も完成したDVDをお土産に訪ねてくださいました。うれしいことです。(ご希望の方にはDVDをお貸しできます)
もう一つ、うれしい話。体験入学の高校生に付き添って来た保護者の方が高等部の生徒に、珊瑚舎に入学して一番良かったと思う事は何かと尋ねたところ、「文章が書けるようになったこと」と答えたそうです。月並みな答えが返ってくるのかなと思っていたところに、予想を超える答えがかえってきて、保護者の方はえらく感動したそうです。
この生徒が「じんぶん講座」で「自ずから然り」ということについて書いた自分の文章に対し自己評価ノートにこんなことを書いています。抜粋します。
「自分が『いる』ということをしっかり書いておきたかった。その『いる』というシンプルな言葉が僕の『無為自然』のイメージにぴったりはまった。漠然としたイメージと僕自身の間を『いる』という言葉が埋めてくれた感じがする。書くことで自分が教わることがたくさんあると思う」
彼が言う「文章を書けるようになったこと」とは、とりもなおさず、自分が自分から学び、自分を自分で創る喜びに出会ったということです。
珊瑚舎は「学校をつくろう!」と呼びかけています。この呼びかけは学校、とりわけ授業という場を常にフレキシブルな状態にし、ひとりひとりが他者との関係の中で自分に向かい合う時間を持ち続けることを可能にするためのものです。珊瑚舎が珊瑚舎に向かってまず言わなければならないことです。学校や授業という制度が生徒・学生の側に近づくために呼びかけ続けなければなりません。(ほ)
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