珊瑚舎に入学して
専門部1年 福井 香代子
私が三重県から沖縄にやってきたのは、4月2日の日である。珊瑚舎で一年間学び育つためである。私が那覇空港に降り立ったときから1年間という期限付きの『とき』が動き始めた。自分の人生の中では、もう二度とはないだろうと思えるほどのぜいたくで豊かな暮らしが始まった。
4月7日に入学を祝う会では、夜間中学校の方々がとても印象的だった。終始表情が明るく輝いていたから。手作りの料理が嬉しかった。この日為に練習を重ねてくれた出し物が嬉しかった。こじまんりした家族的な珊瑚舎に好感が持てて嬉しかった。
4月9日から授業が始まった。と、同時に夜間中学のサポートに入らせてもらった。初日、私は胸がつまって涙が溢れてきた。「学びたい」という真剣な気持ちが真っ直ぐに伝わってきたから。色々な理由で学校へ行けなかった人達がつくる授業はとても熱かったから。もっとすごいのは、みんな底抜けに明るく朗らかで学ぶことを心から楽しんでいたから。
1ヶ月半も過ぎた頃からなんともいえない和やかな雰囲気が漂ってきた。教室の中では和気あいあいあと世話を焼く人達の姿があちこちでみられた。実際、微笑ましくもあり、うらやましくもなる光景である。私は毎回夜間中学の人達から「熱い思いとパワー」をいただいている。これだけの事をとっても珊瑚舎に入学した甲斐があったというものだ。さぁて輪や市はこれから残された時間をどんなふうに描いていこうかな。これから先がお楽しみだ。
学校の役割 その47
「月も照り美らさ 糸かめれ童 露の玉拾て 貫ちゃい遊ば」
(つぃちんてぃりじゅらさ いとぅかめりわらび ちゆぬたまひるてぃ ぬちゃいあしば)
以前、この通信に「琉歌の世界」というコラムを書いていました。いつの間にか書かなくなって随分たってしまった。琉歌は「八・八・八・六」の四句三十音で作られる沖縄の定型詩です。起源はよく分かりませんが、1609年の薩摩の琉球侵入後、和歌と区別し琉歌と呼ぶようになったと言われます。現在も盛んに作られていて、地元紙には投稿コーナーもあります。もちろん沖縄方言で詠われます。
冒頭の琉歌は作者も、作られた時代もわかりませんが、「いいね、この爺さん」と勝手に思ってます。「お月さんがきれいだねぇ。みんな、糸捜しておいで。きらきら光る露を拾って、糸に通して遊ぼうね」と、爺さんが傍らにいる子供たちに言うのです。もちろん、露に糸を通すことはできませんから、子供たちは糸を探しには行かないでしょう。「オジィ、露に糸は通せんよ」といってみんなで笑ったかもしれません。あるいは、子供の中には糸を持ってきて「オジィ、首飾り作ってよ」とせがんだ子供がいたかもしれません。
どうして爺さんなのか、はっきりとした理由はありませんが、どうも「糸かめれ」が爺さんを登場させるような気がします。月の光を映して輝く露を見て「糸かめれ童」という遊び心はにこやかな余裕を感じさせます。こういう余裕は年齢を重ねないと生まれないのではないかと思います。また、糸が身近にある女性は「糸を捜しておいで」とは言わないような気がします。糸が身近な女性は「糸を持っておいで」でしょう。
都市型消費社会はいつの間にか子供を創造者から消費者に変貌させてしまいました。IT技術の発展はそれに拍車をかけています。遊びを作る側から遊びを購入する側になったわけです。子供の消費意欲を刺激するために知恵を絞る経済構造が出来上がっていますからしばらくは、ということは少なくとも僕が生きている間はこの状況は続きます。
子供は日常生活において消費者であることより創造者として時間を過ごす場面が多い方がいいと考えています。創造者としての時間とはつまり、遊びを作る時間です。
子供たちに昔の遊びのよさを教えるためにいろいろな機会が作られています。僕はいつも違和感をもちます。人の手で野生にかえすための訓練を受けている動物たちとどこかで重なって、うら寂しい気分になります。さらにいけないことは、子供が戻って行く日常と不連続な時間であることです。具体的な遊びの一つ一つを知ることは別に悪いことではありませんが、それだけでは目の前に並べられる遊びメニューの一つでしかありません。要は子供たちが自分で自分たちの遊び心を日常生活の中で育てる楽しさを知ることなのだと思います。
珊瑚舎スコーレの「スコーレ」はスクールの語源ですが、本来の意味は「暇」とか「余暇」と言うことです。人間は「暇」や「余暇」を手に入れた変わった生き物です。そのおかげで幸か不幸かこういう時代を生きています。「暇」や「余暇」は「遊びの時間」と言い換えられます。それがやがて「学校」と言う意味を持つようになります。このプロセスに人の人たる所以が潜んでいるように思います。
冒頭の琉歌に登場する爺さんの「糸かめれ」は想像力と遊び心の楽しさを教えてくれます。子供たちの想像力を刺激したでしょう。人の想像力は育てるものです。遊び心から生まれます。そのための一言を日常生活のちょっとした場面で言っているような生活を大人自身がしていなければなりません。(ほ)
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