>学校をつくろう!

  第53号より
「ハーリー」
                                   中等部 加藤 作華
 6月4日あつい、あつい夏の日ざし。
 ぼくらはサバニの上にのり、スタート地点でどきどきしていた。あの時は、心臓が飛び出るくらい緊張した。となりを見ると、かっこいいユニホームと筋肉もりもりの大人たちがサバニの上に立っていた。けれど「がんばれ」と言う仲間達の応援する声が聞こえてきて、ぼくらの気持ちは一つになった。「よーい」と言う声が聞こえてきた。急に僕の頭はハーリーに吸い込まれた。
 「かん」という鐘の音のあと僕は、思いっきりこいだ。そして海の水が目の中に入るから、しばらく目を閉じてこぎ続けた。そのあと目を開けると、なんと目から見える物は、海だけだった。ぼくらのサバニは先頭を走っていた。けれど、その時ターンの手前でおきてほしくない事がおきた。僕の体がするっとスベった。そしてカイが前の人のカイに当たった。その後のターンで僕らは、抜かれた。けれどそれでもぼくらは、必死でこいでこいでこぎまくった。しかし結果は二秒差で負けた。
 けれども決勝に出られる可能性はある。今回の大会には、九チームが参加してその中でタイムが良かった三チームが決勝へ進むことが出来るからだ。しかし残念なことに僕らは、たった0,3秒!の差で決勝に出ることが出来なかった。
 ぼくの心は、複雑だった。悔しい気持ちと、嬉しい気持ちでぐちゃぐちゃだった。しかし僕の仲間は、悔しがったり悲しんだりすることなく、笑顔で「良く頑張ったね」と拍手をしながら大喜びだった。仲間の笑顔を見るうちに僕も笑顔になった。みんなは勝つことにこだわってなく、楽しむことが一番大切だと思っていた。
 みんなで楽しんだハーリーは、最高の思い出だ。僕は、一生忘れない。

「慰霊の日を終えて」
                                   高等部 小野寺 怜
 焼けるような暑さだった。僕は魂魄の塔の前に立ち、六十年前にそこで起こったことを想像しようとした。サトウキビ畑、死体の山、泣き叫ぶ子ども。僕は身震いをした。
 そんなことがあったのに、近くには綺麗な花が咲いていた。
 もしその花を踏んだとしても、花がどう思うかなんて僕らには分からない。それなのに踏まないよう避ける人もいれば、何も気にせず踏む人もいる。その違いはなんなのだろうか?
 きっと踏まなかった人は、踏んだ時のことを想像し心が痛んだのだ。たとえ花の気持ちが分からなくても、想像することはできる。分かろうとすることはできる。

 戦争中の国同士では、片方はもう片方のことを分かろうとしないし、もう片方も片方のことを分かろうとしていない気がする。相手の気持ちを分かろうとしていたら、傷つけ合い、殺し合うなんてならないと思うのだ。だから、想像したり知ったりすることによって相手のことを分かろうとするっていうのは、とても大事なことなのではないかと思う。

 そのためには相手を決めつけてはいけないのだと思う。かつての日本は鬼畜米英と相手を決めつけ、911後のアメリカはイラクを悪の枢軸と決めつけた。そうしている限り、世界は閉じたままだ。憎しみ合ったままだ。決めつけるのではなく、相手を分かろうとしなければいけないのだと思う。

 だけど現実には北朝鮮や自衛隊やテロなど、僕にはどうしたらいいのか分からないことばかりだし、僕の言っているのはただの綺麗ごとなのかもしれない。だけどいつか誰もが相手の気持ちを分かろうとし、想像し、知り、考えるようになったとしたら、少なくとも今よりずっとずっと世界は平和になると思うのだ。

「五大陸料理大会」
                                   中等部 小池 未来
 7月1日…ついにこの日が来たッ。今日は珊瑚舎の生徒達で五大陸それぞれの料理を作る。普段、あまりかかわりのない講師や聴講生の人たちと交流を持とうという企画だ。アジア・中国・ヨーロッパ・アフリカ・南米チームに分かれて作る。
 2時頃料理を作るためみんなが珊瑚舎に集まってきた。それぞれのチームに分かれて作り始めた。みんなと何かをやるのは今回で二回目だ。色んな思い出が出来てうれしい。
 5時頃5チーム全員作り終わった。どこのチームもよく出来ている。手作りってイイね。中国はにんにくの芽&豚肉炒めと杏仁ドーフ。ヨーロッパはキノコのリゾット&りんごのコンポート生クリーム添え。アジアはインドネシアの料理ナシゴレン&飲み物のデザート。アフリカはガーナ風炊き込みご飯&カマルエルディ。南米はチリ料理のパイラ・マリーナというスープ&お米のミルク煮(ペルー)。どれも個性豊かだっ!
 いよいよ五大陸パーティーが始まった。みんなおいしそーに食べてたっ。実際全部のチームおいしかった。インドネシアのナシゴレンは出たとたんあっという間になくなった。他のチームの料理も順調になくなっていった。パーティーの他にフルーツバスケットもどきとエイサー、クイズで盛り上がった。 今回の企画は最初は流れに任せとけばいいやみたいな感じだったけど本番は気合が入った。普段かかわりのない人達と交流出来て本当楽しかった。珊瑚舎はすばらしいトコだなって思った1日だった。

「学校の役割」      その43

 専門部の宿泊フィールドワークで新城島(アラグスク、地元ではパナリと呼んでいます)のプール(豊年祭)に出かけました。旧暦6月の収穫のあと、満月の辛、壬(かのと、みずのえ)の2日3晩にわたって行われます。「アカマタ・クロマタ」で有名な祭です。今年は7月11日の晩から13日まででした。
 アラグスクは幻の焼物と言われているパナリ焼をかつて作っていた島です。また、ジュゴン(地元ではザヌと言います)を首里王府に税として納めていた島としても知られています。現在の島民は確か、3、4人だったはずです。
 プールが行われる何日か前から、島が沈むかと思われるほど大勢の島民が沖縄を中心に全国各地から続々と集まります。民宿はもちろん商店もありませんから、食料、寝具、中には小型冷蔵庫持参で帰島します。彼らは自分達のことをアラグスク一族と呼びます。誇らしげです。
 20数年前に1度、プールで行われるアカマタ・クロマタ舞いを目の当たりにしたことがあります。現実とは思えませんでした。別世界に紛れ込んだかと思いました。喜びと願いと祈りが歌と舞いに昇華して島じゅうを包みました。原初から脈打ち続ける何者かの鼓動に全身が揺り動かされているようでした。
 久し振りにあの驚愕の体験を学生たちとともにすることができるものと、楽しみにしていました。12日が世願いでした。アカマタ・クロマタが現れる晩です。満月です。一族は1晩中家々を巡り、歌を歌います。大合唱です。楽器はありません。そこへ忽然とアカマタ・クロマタが現れ、踊ります。歌声はさらに大きくなります。明け方アカマタ・クロマタを送る「わかれ」の歌で世願いは最高潮に達します。
 ところが、12日、心配していた台風4号が接近したため、西表から新城島に行く船が欠航になってしまったのです。石垣に渡る午前中の便は出港するということでしたので、石垣に戻ることにしました。結局、石垣に3泊することになりました。
 新城のアカマタ・クロマタ舞いは重要無形文化財の指定を辞退しています。また、国立劇場をはじめとした舞台への出演も辞退しています。もちろん観光客に見に来てほしいとも一族は考えていません。旧暦6月の収穫のあと、満月の辛、壬(かのと、みずのえ)の2日3晩にわたって、新城島で一族の祭として一族の手で行われることに意味があると考えているのです。人に見せるための祭でもなく、学術研究の対象でもなく(ちなみに、祭りにはカメラや録音機器の島内への持ち込みは禁じられています)、むろん、島に経済効果をもたらすためのものとも決して考えないのです。何が一番大切のものなのかを分っているのだと思います。その気持ちが、あの20数年前に僕が経験した感動を呼び起こしたのだと思います。今年も台風が接近する中、あの祭はあの通り行われたはずです。
 石垣に戻り、白保を訪ねました。新石垣空港の建設問題を長年抱えている集落です。今もカラ岳陸上案を巡って反対運動が展開されています。
 最初に訪れたのは20年ほど前でした。リーフを埋め立てる飛行場建設の反対闘争を集落あげて戦っている時でした。国際的な反対運動になりました。そこで、島の人からケイノのオバァと呼ばれている方と出会いました。「飛行場が出来れば村に金が落ち、豊かになると言うが、金が欲しいとお願いしたこともなければ、金があれば豊かだと誰が決めたのか。目の前の海の豊かさに代わるものなどない」とケイノのオバァは言いました。何が一番大切なものなのかを教えて頂きました。
 久し振りにご自宅を訪ねました。アダン葉細工の草履と筵を今も作っていました。93歳になったそうです。最近、涙もろくなったそうです。でも、私たちを見送る時浮かべた涙はきれいでした。(ほ)