第4回「春の学校・うりづん庭」特集
★ 舞台発表と卒業を祝う会を終えて
高等部2年 大垣 つわ
うりづん庭2日目の3月13日午後舞台発表を行いました。音楽、三線、太鼓、英会話、文章などなど一年間学んだことを各学年いろんな形で発表しました。その中でもやっぱり、幕開けの高等部三年と専門部による舞踊は孫にも衣装効果でしょうか(笑)?みんな綺麗でキラキラ光っていました。特にマッキーは似合いすぎでした!太鼓はすごい格好良かったです。唯一全学年が出ている音楽では泣いている人もちらほらいました。指揮者のあず姉(第一期卒業生)が泣き始めたら私も我慢できずに泣いてしまいました。三線はTとUにわかれていて、Tは中等部、高等部1・2年で『涙そうそう』をやりました。Uは高等部3年、専門部で『月ぬかいしゃ』と『とぅばらーま』でした。みんな上手に出来ていたと思います。高等部3年と専門部の英会話はキング牧師のスピーチでした。一番はじめは麻里のスピーチでスッゴイ長い文を暗記していてビックリしました。マッキーの「アイI ハブhave アa ドリームdream!」は一番熱が入っていて面白かったです。高等部1・2年の文章講座は人物スケッチ(皆である一人の人物を観察して、その人の特徴やどんな人なのかとかを文章にするもの)でゲッチョ(盛口 満)をスケッチしました。皆それぞれゲッチョの特徴をつかめていて良かったと思います。すぎもっち(ゲッチョの友達)はこれが一番面白かったそうです。思っていた以上に好評で嬉しかった。そして舞台発表が終わり、卒業を祝う会。最初はホッシーの言葉でした。まだ始まったばかりだというのに、やっぱりホッシーはウルウルきていて今にも泣いてしまいそうでした。そして卒業生の言葉の時にはお客さんも生徒も全員泣いていました。在校生から卒業生への言葉は私とけいすけ啓友(高等部2年)で読んだのですが、ぼろ泣きだったので何を言っているか聞きとりにくかったと思います。すみません。
卒業を祝う会の中の卒業式が終わると第二部のパーティーが始まりました。パーティーではお客さんや講師の人、生徒、OBの人などなど色々な人が出し物をしてくれました。中でも、そな(卒業生)のお母さん、い李 じょんみ政美さんの歌「朝露」は鳥肌が立つくらい感動しました。OG、OBの皆の出し物もすごく素敵でした。そして最後は!やっぱり竹ちゃん(宮城 竹茂)の三線とカチャーシーで終わりました。来てくれた皆さんや生徒、講師の方々のおかげで最高に楽しい時間になりました♪頑張ったかいがありました。来てくれた皆さん本当にありがとうございました!
★10年後の世界と自分について
高等部2年 小林 啓友
僕たちは、うりづんなーの企画で提案されていた「10年後の世界と自分」を考えるにあたって、色々なテーマを考えました。
まず、討論会形式でやろうと決めました。僕たちがテーマを決めて、それについて調べた事を発表し、それをどうしていくか、どうすれば良いかを、グループごとに話し合ってもらう事にしました。テーマを話し合ったところ、「十年後の化学の発展」や「十年後の自分達は結婚しているか」などが出て、その中から次の二つのテーマを選びました。
一つ目は沖縄の自然"海"の環境問題です。なぜ
海なのかと言うと、沖縄に住んでいて一番身近な存在だからです。もう一つが平和憲法です。なぜ平和憲法なのかと言うと環境問題と平和への問題は深く結びついていると思ったからです。それで日本が持っている平和憲法について取り上げてみました。
沖縄の環境と言っても、ゴミ問題、埋め立てなど様々なことがあって一度に説明できませんので、その中の赤土問題を取り上げて詳しく調べました。赤土は道路工事や軍の施設、あと農用地などから発生します。そして雨によって流された赤土は、川に流れ出して海へと流れ込みます。すると流れ込んだ赤土は浅瀬に生息する珊瑚礁におおいかぶさってしまうのです。珊瑚には藻類が中に生息していて、その藻類が光合成をすることで藻類から炭水化物をもらって、珊瑚は生きています。しかしこの様にして赤土が海に広がると、藻類は光合成が出来なくなり珊瑚も死んでしまうのです。そしてこの問題の原因になるものの中には辺野古埋め立て、基地の存在があります。例えば辺野古の埋め立て問題、この問題は、辺野古の海を米軍基地にするため埋め立てられようとしています。もし埋め立てられれば珊瑚は、つぶれて下敷きになり死んでしまいます。これらの問題を一体どうしていくのか、どう平和を作っていくのか、平和憲法に深いつながりがあります。
平和憲法とは、戦争を放棄するという憲法で、今現在世界で二つの国しか保持していません。具体的にはコスタリカ共和国と日本です。コスタリカでは十二条、日本では九条として知られています。今回はこの憲法が持つ意味や力をこの二つの国の憲法を比べ考える事で、会場のみなさんと考えられるように資料を用意して調べました。
この二つのテーマについて話し合ってもらいました。沖縄の海では、各グループで話し合っている事が違っても色々な意見を聞くことが出来ました。僕も話し合いに参加したのですが、他のグループでは、自分達に身近なゴミ問題から話し始めたのに対して、このグループはどうしたら赤土を引き起こす原因を減らすことができるのかを討論しました。対策として、これ以上軍用地などを作らない、などの案が出ました。しかし、あまりにも赤土という大きな所から入ってしまい最終結論まで話せませんでした。
このグループでの話し合いで一番印象に残ったのは、い李さんが言った「知らない人に伝える」と言う事です。確かに僕が何か起こそうとしても一人では難しい事だと思います。まず最初の一歩はより多くの人にこの今起きている事実を知ってもらう事です。そうしたら少しずつ赤土問題も減って行き、将来キレイな珊瑚が残せると思います。
話し合いを通して僕が感じた事は、参加した一般のお客さんや生徒全員が平和や自然について意識を持ち、積極的に取り組んでいた事です。なかなかこういう機会がないので皆で一つの事を教えあい、学べて良かったと思います。十年後どうなっているのかは分りません。しかし今回の話し合いで現在の状態や十年後に対し少し意識が高まったと思います。
最後に感想を書いてもらったので紹介します。
*「コスタリカと日本にしか平和憲法が無いと知ってビックリした。コスタリカできたきっかけや、コスタリカの人の平和や戦争に対する思いを知ってみたいと思った。」(M・O)
*「身近な所からやれる事をやっていこうと思った。出来る事ってたくさんあると改めて感じた。10年後も自分で周りとのバランスを創ることをしたいと思います。」(Y・H)
学校の役割 その36
珊瑚舎スコーレのカリキュラムには中等部、高等部にそれぞれ「平和学講座」が準備されています。夜間中学校にはありませんが、近い将来、夜間中学校でもカリキュラム化したいと考えています。専門部には「沖縄研究・平和」があり、沖縄に焦点を当てた内容で、沖縄戦や基地問題などを中心にしたカリキュラムが構成されています。
珊瑚舎スコーレは沖縄にありますから、中等部、高等部の「平和学講座」も沖縄戦や基地の問題を中心にしたものと受け取る方が多いかと思いますが、そういう内容ではありません。「平和学講座」という名称は「学」の字が大業で面映いのですが、一般に言われている「平和教育」、「平和学習」とは異なった切り口で「平和」にアプローチすることを考えているためにつけられたものです。「学」の字がついていますが、学問的、学際的なものではありません。
従来の「平和教育」、「平和学習」は戦跡を訪ねたり、戦争体験を聞いたり、反戦を訴える映画や演劇の鑑賞などをした後、討論会を開いたり、感想文や詩を書いたりすることが多いようです。
事実を知ることは大切なことです。知った自分と知らなかった自分が向かい合うことはもっと大切です。そうして生れた新たな自分を日常の中に根付かせる力を手に入れることはさらに大切なことです。
平和と言う価値を自分の価値として生きていくには、この「大切なこと」、「もっと大切なこと」、「さらに大切なこと」が実体をもった体験としてなくてはならないと思っています。自分自身で自分の「観」をつくることです。
戦争体験の風化が危惧されています。平和教育、平和学習の必要性を訴える声が方々からあがっています。しかし、ここでもう一度、「平和教育」、「平和学習」について考えてみなくてはならないことがあるように思います。
教育とは生徒、学生が自分を作るための手助けをすることです。主体は常に生徒、学生です。「平和教育」ということで考えれば、平和のために生徒、学生がいるのではありません。その逆です。生徒、学生が自分を作るための教材として平和という概念が準備されるのです。ここを取り違えると教育は巨大なモノローグのなかに埋没し、平和どころかやがてはファシズムに陥ります。多くの生徒、学生はその場限りのパフォーマンスを演じてしまう結果になります。当然、自分自身の「観」にはなりません。
沖縄に大勢の修学旅行生が平和学習を目的にやってきます。沖縄の学校も平和学習が盛んです。一生懸命に「平和教育」を実践している方々には申し訳ないことですが、ぼくは懐疑的です。
生徒、学生に主体がおかれていない「教育」とは言い換えれば結論があらかじめ準備されている教育です。教育する側が納得できる出口に生徒、学生を誘導することです。答えが決まっているのです。退屈です。教育は運動ではありません。答えとしての平和ではなく、教材としての平和が必要なのです。
珊瑚舎スコーレの「平和学講座」は生徒・学生が日常生活の中に潜む差別構造や抑圧構造、偏見や暴力性に気づき、それらから自分自身を解放するために自分の出来ることを自分で見つけるために用意されている授業です。別の言い方をすれば、たまたま隣り合わせになった他者と仲良くやれるための道筋を自分でつくれるようになるためにはどうすればいいのかを考えるための授業です。
他者とは、自分と違う価値観の持ち主のことを言っています。排除、拒否ではなく「観」に根ざした肯定・否定の論理を自分のものにする手助けの場として授業はあります。「もつと大切なこと」、「さらに大切なこと」を具体的に考えるために「事実を知ること」があると考えています。
誤解を恐れずに言えば平和教育は戦争体験の風化を防ぐためにあるのではありません。(ほ)
|
|