「卒業を祝う会」より
3月13日に行われた「卒業を祝う会」で星野から卒業生におくられた言葉と、卒業生から珊瑚舎スコーレへおくられた言葉を紹介します。
「金そなさんが
珊瑚舎スコーレ高等部を
今日、卒業することを
みなさんと認め合うための辞」
体験入学にやって来たあなとを空港に迎えに行きました。初対面の僕にあなたは笑顔で応えてくれました。その笑顔を今もおぼえています。たくさんの人から愛されてきた人だと感じました。あなたの宝物のひとつでしょう。
珊瑚舎の「学校をつくろう!」は耳には心地いいことかも知れませんが、実際はとてもむずかしいことです。あなたはそれを実感していると思っています。あなたは自己評価ノートに
「そなは毎晩考えて、毎晩泣いているよ」と書いたことがあります。あなたが涙を流すのはあなたの中に大切なものが潜んでいるからです。それは物事の二面性を瞬時に捉える鋭敏な感性です。だから、時々出口を見失って苦しくなることがあるのだと思います。でも、きっとあなたをもっと美しくしてくれるはずです。宝物です。
学びましょう。愛するために学びましょう。
珊瑚舎スコーレへ 金 そな
珊瑚舎に来た頃、私は自分と向きあう事が苦しかった。今までに生きてきた場所とは全く違う世界だったし、まわりに日本人しかいないのは、たえられないくらい心細かった。今までの自分をはがされて、心をむき出しにされた気がした。
常に自分自身と戦う場所
私が私をつくりあげてきた場所
とても大きなしれんの場所
自信を喪失して他人がうらやましくも見える。何度も辛くて学校をやめたくて、東京に帰ったりもした。このまま日本で生きていくのかと思うと、生きるのをやめたくなった。
人と真剣に付き合うという事は、すごく大変で、身をけずる思いだ。それでもやめないのは、ここに私の居場所を作りたいと思うから。この場所とみんなが大好きだから。
行事の度に毎晩泣いて、みんなで学校を作るという事を考え悩んだ。私は空回りしていたかもしれない。頼りなかったかもしれない。本当はみんなで作っていたのに気付かなかっただけだったかもしれない。私は珊瑚舎で人との付き合い方を学んだ。何かを創造する事のむづかしさ、その後の楽しさを学んだ。人を愛する事に何人とかは関係ないって、ここへ来て、ずい分前からわかっていた。でも怖いから気付いていないフリをしてた。でも、珊瑚舎を卒業する直前になって、自分を自分で認めてあげた。裸の私を認めてあげた。たくさんの出会いが私を強くしてくれた。とても体と気持ちが軽くなって、私は大丈夫だと思える。珊瑚舎にもっと伝えたい言葉がいっぱいいっぱいあったのに、自分の番になったら、頭で考えられなくなっちゃった。
本当はもっとあったんだけど、浮かばないから、珊瑚舎スコーレありがとう。一生大事にする2年半です。ありがとう。
「西原久美子さんが
珊瑚舎スコーレ高等部を
今日、卒業することを
みなさんと認め合うための辞」
珊瑚舎に来たころ、あなたは帽子を真深にかぶっていました。よく似合いました。でも帽子をかぶらずにいる時、時折見せる笑顔はもっと似合いました。
珊瑚舎の「学校をつくろう!」はあなたにとって苦しい時間だったと思います。今もそうかも知れません。自分のやり方がなかなか見つからず、人にも自分にも優しくなれないことがいっぱいあったと思います。
でも、あなたが苦しくてあんなに涙を流すのはあなたの中に新しい自分が生まれかけているからに違いないのです。
僕はあなたの紅型やあなたが画いた絵や、あなたの文章の中にそういうあなたを感じています。
学びましょう。愛するために学びましょう。
珊瑚舎スコーレへ 西原 久美子
珊瑚舎ですごした日々、私は笑ったり怒ったり泣いたりすごくおもしろかったし楽しかった。でも、ときたまものすごくつらくもあった。みんなと一緒にいるとふと私は一人おいてけぼりのように感じてさびしいときがあった。自分自身に自信というものがなかった私は自分のことが好きでなかった。
ここで私は新しい自分を発見したように思う。文章を書いたり、考えたり、自分と向きあう時間はとてもつらかった。だけれども、自分も知らなかった自分を知ることは自分の自信につながった。
今私には前よりずっと広い世界が見える。とても嬉しいことに感じる。2年半長かったけどあっという間だった気もする。みんなと一緒にいれてとても楽しかった。みんなと会えて本当によかった。沢山の大切なことに気づかせてくれたみんなに感謝します。本当にみんなありがとう。
「寺島真生君が
珊瑚舎スコーレ高等部を
今日、卒業することを
みなさんと認め合うための辞」
入学の手続きに来たとき、僕が「マサオはどう書くの」と聞くと、「真実の真に生きるです。真に生きるです」と遠慮ぎみに座っていたきみは姿勢が改まり、誇らしげに答えました。
その時、きみは新しい自分の時間を自分自身で動かしはじめたのだと思っています。
沖縄に来る前のきみがどういう時間を過ごしていたのか僕は知りません。また、どういう悩みや苦しさの中にいたのかも知りません。「もう人に迷惑をかけたくない」という言葉だけで十分でした。
「学校をつくろう!」は君にとって冒険のようなものだったかも知れません。新しい世界が広がります。しかし、この冒険はなかなか終わりは訪れません。冒険が日常にやがてなるはずです。
学びましょう。愛するために学びましょう。
珊瑚舎スコーレへ 寺島 真生
僕は珊瑚舎スコーレに来る前の生活で死んでしまおうと思っていました。本当にどうしようもない人間だと思って、自分で自分の首をしめるような生き方しかできなかったし、知らなかった。そんな時学校は何も教えてはくれなかった。
本当に死んでしまおうと決めたとき、母がここ(地元)を出たら?と言ったから、あてもなく沖縄に来ました。そこで珊瑚舎スコーレと出会いました。珊瑚舎スコーレは二年間、僕に受け止める辛さと強さを教えてくれたと思います。
今まで自分がしてきた事、見て来た事が僕の大きな壁だったけど、今、少しづつ受け止めていけると思います。そして強く生きて行けるとも思えます。
珊瑚舎スコーレのみんな本当にありがとう。
うりづんなーに参加して
李 政美
そながお世話になった2年半の間、結局一度も訪れることができなかった珊瑚舎に、卒業の日にやっとたずねることができました。 3月12日と13日の二日間、生徒たちの授業、まれびと講座、卒業を祝う会に参加して、「珊瑚舎って、ほんとにいい学校だなあ」と心から思いました。
そなは珊瑚舎に入る前に、都立高校を1年半で中退しました。中学までは在日朝鮮人ばかりの民族学校に通いましたが、全体主義的な雰囲気になかなかなじめませんでした。そなにとっては、学校は居心地の良い場所ではありませんでした。そんなそなを見ていて、学校なんか行かなくてもいいよ、といつも心の中で思っていました。 だから、正直珊瑚舎にもあまり大きな期待はしていなかったのです(すみませんm__m)。
二日間の生徒たちの授業を、自分も生徒になったきもちになって受けました。授業に取り組む子どもたちの顔が生き生きとして、とても輝いて見えます。珊瑚舎が、日常的に授業をとっても大切にしてるんだなあということが伝わってきました。 屋久島の自然をずっと撮りつづけている山下大明さんのお話は、心の中に静かにしみ込んでくるようなお話でした。こんなステキな大人に出会える珊瑚舎の生徒たちは幸せだなあと思いました。
それからいよいよ卒業を祝う会。ほっしーがそなに贈ってくれた言葉を聞いて、2年半、そなをまっすぐ見続けてくれたことに、感謝の気持ちでいっぱいになりました。そして、みんなの前で「卒業にあたっての辞」を読むそなの姿は、ひとまわりもふたまわりも成長したように見えました。
「愛するために学ぶ」ということ。自分を愛して、他者を愛すること。たぶん、一生かかっても学びきれないことかもしれません。でも、10代後半の、人が 成長するために最も大切な時期に、そなが、学ぶということの本質を考える機会に出会えたことに、心から感謝します。
そして、祝う会の2部。精一杯歌い、踊り、表現する子どもたちは、もうどの子もほんとにかわいくて抱きしめてしまいたいくらいでした。夜間中学のおばあたちのフラダンスも英語の発表も、とてもほほえましかった。学校に一度も通ったことがなく、文字の読み書きができなかった母を思い出しました。生前、母もこんな学校で学ぶことができたら、母の人生はどんなに豊かになったことか。それから、この時、一生わすれることができない出来事もありました。「おんま(お母さん)は絶対に歌わないでね」とそなにさんざん釘をさされていたのですが、そうもいかずに韓国の「朝露」という歌を歌いました。そなも一緒に歌おう、と促すと、そなは素直に応じてくれたのです。今まであんなに彼女を苦しめてきた私の歌を、そなが一緒に歌ってくれるとは、夢にも思っていませんでした。私は涙がとまりませんでした。卒業を祝う会で、東京から持っていった朝鮮の民族衣装。そなは最後まで迷いながら、結局着ることができませんでした。私はちょっとがっかりしたけど、ジーンズとTシャツという普段着が、今のそなには一番似合っているかもしれない。そなは私よりずっと正直かも。沖縄という場所から、日本、朝鮮半島、アジア、そして在日について考え、悩み続けてきたそなの今の姿。
ほっしー、えんとも、げっちょ、かこちゃん、生徒のみなさん、出会えてうれしかったです。私も珊瑚舎が大好きになりました。どうもありがとう!
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