学校の役割 その33
学校をつくろう!」と珊瑚舎スコーレは生徒・学生に呼びかけています。前期の学校生活に対する自己評価ノートで「学校をつくろう!」について書いてもらいました。
この4月から中等部に入学した生徒は「最初はその呼びかけの意味が分からなくて、ただ学校へ行って勉強しただけだったのかも知れない・・・でも、今はけっこう自分はできかけてきていると思う。おれは高等部3年生みたいな感じが"学校をつくろう!"って感じですな」と書いています。
その高等部3年のひとりは「学校はいる人たちで雰囲気もリズムも変わってくる。学校とは生き物なんだなーと最近思う。自分たち次第でどうにでもかわる。自由にみんなで良いふうにつくる。誰か一人じゃできない。今ならもう少し気楽にキャパを広くもち、みんなで作れそうな気がする」と書いていて、別の問い掛けには「シンカー会議(生徒・学生全員参加のホームルームのような時間)等の時の自分は、きつすぎたのかな。でも、私なりに必死になってまとめようとしたんだけどどうにもね、うまくいかない。スコーレをやめようと何度も思い・・・(中略)・・・でも、まにまに(まにまに祭)とかして、学校を作ろうとしているのは私だけじゃないんだってことを知ってとてもやる気がでた」ということを書いています。このことが「もう少し気楽にキャパ(キャパシティー)を広くもち・・・」という内省に?がっているんじゃないかと思います。
「もう少し気楽にキャパを広く持つ」ということは「自由と自立と平和」を「学校をつくろう!」の柱にしている珊瑚舎スコーレにとって大切なことだと思います。
先日、寮生にこんなメッセージを送りました。「珊瑚舎スコーレは寮生活においても学校生活においても日常生活の具体的なひとつひとつの中に、授業と同様に『学校をつくろう!』の柱である『自由・自立・平和』が潜んでいると考えています。
『自由』とは『自分の選択を自分の責任として生きる意思を持ち続ける状態』のことです。『自立』とは、『自分で自分の面倒をみようとする意思を持ち続ける状態』のことです。自由で自立的な存在とは、誰かから命令や指示されるのではなく、自分の意志で選択し、選択した自分の面倒を自分で見ようとする状態のことです。しかし、他人に寄り掛かからざるを得ない状態とも隣り合わせです。『平和』とは『たまたまいっしょになった他人とお互いにとって心地いい時間と空間を作るためのプロセス』です。いい意味での寄掛かりあいが生れることです。自立は程よい寄掛かりあいを伴います。そのためには対等な関係の交流や話し合いを通して互いを理解し合うことがとても大切なことになります。」
「もう少し気楽にキャパを広く持つ」ことは他者に対するスタンス(他者を自分の価値の中に取り込もうとする立場)のとり方ではなく、自分に対するスタンス(自分を他者の価値の中に発見しようとする立場)のとり方だと思います。他者に対するスタンスだと、他者にも自分にも「きつすぎる」ことになり「スコーレをやめようと何度も思う」ことになってしまうような気がします。
最近読んだ雑誌の記事の中で、沖縄人(筆者の言葉)で平和運動に関わる方が、日本人(筆者の言葉)の平和運動家は沖縄から出て行って日本で活動して欲しいということを書いていましたが、うまくいかないと、「スコーレをやめよう」と思うのと同じことなのですが、自分がやめるのとは逆に他者にやめて欲しい、出て行って欲しいと思うようになります。
ナショナリズムと平和は相容れないことではないと思っています。状況に対するスタンスの取り方次第で平和とはかけ離れた状況を作ってしまうのは歴史が何度も教えてくれていることです。
学校の構図も同じ事だと思います。(ほ)
文章講座 生徒作品「自画像・変身譚」より
『変〜〜身』 中等部 山瀧 駿佑
ある日、気づいたら野菜になっていた。そう大嫌いな野菜になっていたのだ。その野菜はトマトだった。僕は気が動転するひまもなく、テーブルには父がすわっていて、食事をしだした。
父はもくもくとごはんを食べ始めた。トマトにも手をつけていた。父はトマトが好きなのでトマトの減りが早かった。だが僕はまだ食べられていなかった。トマトも残すところあと三個、あーどうしようと混乱していたが、食べられたらもとにもどれるかもしれないとも思った。だが父は、食事をおえた。ホットした一面もあるが、くやしい気持ちもあった。
そして時間が流れて一夜あけて、僕は母のお弁当に入れられた。一夜あけても内心は、まだトマトになったことを信じられなかった。昼になり母が弁当を食べ始めた。今度こそもとにもどれるかもしれないと、しかしはしがすべって僕は落ちた。
僕は砂に埋もれながら弁当にもどされ食べられなかった。ふと考えた。トマトは生きているのだろうか、トマトだけではない野菜は生きているのだろうかと。心臓がなければ生きていないのかなどと考える。豚・鳥・牛・麦などは、なんのために生まれたのか。食べられるため。じゃなんのためかとお腹がすいたら肉や麦を食い、のどがかわいたら水などをのむ。それなら腹に石でも入れておけば、お腹も減らずにすむのに、なぜ人間は、食べると言う行動を覚えてしまったんだろうと思っていた。だが分からなかった。そして家についた。
僕は、ゴミ箱に捨てられそうになったが犬にふまれてつぶされた。僕はつぶされた。気付くと僕はベットにいた。ごはんよ〜と母が呼んだので、台所に行った。そしてご飯を食べ始めた。
おかずにトマトがあったのでがんばって食べてみた。僕は吐いた。
『変身 蛾バージョン』 高等部 金 そな
さらさらと。十四をむかえたばかりの少女が学校の屋上に立っていた。黒いワンピースがさらさらとはためく。流れる風は一月のもの。「なんでだろう」。その細い体と小さな胸からあふれ出る言葉。立ち止まってしまった。前に進むことも、後ろに引き返すことも出来ないで。目の前にはなにも見つけられない。すべて消えて無くなればいい。冬のにおいが彼女を包みこむ。彼女が生まれたときと同じように。この季節が大好きだ。たくさんのゆれる思いを断ち切るように少女はゆっくりと屋上にはられた金網に向かって歩き出した。「私は絶対弱くなんかない」。スカートのすそを太ももまで上げて少女は金網を登り始めた。そのてっぺんに立ち、さらに空を見上げた。あふれる憎悪が体を流れ我慢できずに両手を広げる。黒いワンピースの袖からのぞく白くて長い腕は今にも折れそうだった。正面をみすえた瞳は涙で光っている。そこに北の方からふぁっと冷たい風が吹いた。それを自分だけの合図にして少女はそこからとびおりた。
グチャッ。にぶい音が辺りに響く。が、少女の姿がどこにもない。風はいつのまにか収まっていて、灰色の空から粉雪が降りだしていた。地面に落ちては溶けていく。雪とは不思議なものだ。灰色の世界を染めあげていく。太陽のオレンジも海の青も木の緑もここにはない。あるのは、灰色の世界を埋め尽くす白い世界。するとそこを黒いものがひらひらと雪の中を彷徨いはじめた。白の世界では目立ちすぎるそれは黒い蛾となったさっきの少女。自分がさきほどまで人間であったことを蛾は知らない。そして不器用に黒羽を広げ白のなかをさまよいつづけた。
夜な夜な黒い蛾は闇に輝く蛍光灯のまわりを飛び回っていた。バチチと体を焦がしながらわずかな光をおいもとめた。
季節が春へと流れていき、美しい世界が広がった。しかしガは春の世界がきらいであった。こんなにみにくい体が闇にとける黒い羽で夜を生きるのに対し、昼間明るい世界を生きる白や黄のバカなチョウが憎しみに拍車をかけた。しかし、ガはそれを心の隅でうらやましいと思ったのだ。その思いを押し殺すように全ての世界にみにくい憎しみをうえつけた。
季節がかわってもガは憎しみにかられ続けていた。その憎悪はいつしか白い糸となり黒い体を包みこむ。もがけばもがくほどがんじがらめになっていく。その年の最初の雪がふった頃ガは真っ白いまゆ玉になっていた。
ガはそのまま何年も憎悪の中から出られない。何かを愛することをずっと出来ずにまゆの中を生きている。
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