学校の役割 その32
今号の「マチカンティー」に掲載されているM.I.さんの聞書きは、「人と学び」について考える上で大切なことを示唆していると思います。
「学歴がないことでコンプレックスを感じたことはありません。でも、たえず学歴ではなく学校に行きたい、学びたいと思い続けてきました。自分はなんのために生まれてきたのか。後何年生きるか知りませんが残された時間を自分のために使いたい。古い価値観を捨てて自分を見出したい」と長い間思い続けて来たとM.I.さんは話します。
実利的な価値と直接結びついた「学び」があります。学んだ結果が別の価値に置き換えられる学びです。例えば、ある資格を取るため学ぶとか、就職や入学試験に合格するために学ぶことなどがそういう学びになると思います。何を学ぶか選択する場合も実利的に判断します。理科系の大学に進学したいので古文や漢文は学ぶ必要がないと考えます。あるいは、芸術系の教科は芸術系の学校に進学する生徒が学べばいいものと学校自体が考えるようになります。世間の「学び」観は圧倒的にこのような実利的な、プラグマティクな価値と結びついています。
別の言い方をすると学びが体制に絡めとられていると言えます。人間存在のリアリティーから生まれる欲求に呼応する学びではなく、存在の外側を何重にも取り囲む制度のなかに組み込まれるための学びなのです。つまり、プラグマティクな学びとは一つの体制を維持するための学びです。主体は体制の側にあり、学ぶ個人の側にはありません。制度を作る過程、あるいは制度を積極的に維持しようと思う者には意味のあることですが、多くの者にとっては幻想としての学びです。体制が疲弊していたり、魅力ないものであれば当然、学びは空洞化します。制度により組織化された学びの場である学校は形骸化します。
誤解のないようにしなければなりませんが、学校教育、とりわけ小・中・高等学校での学びについて考えているので、プラグマティクな学びを否定しているのではありません。必要なことですし、そのための学校も必要です。しかし、学校教育は決してそのためばかりにあるのではありません。
実利的な価値とは別の価値につながる「学び」があります。M.I.さんが求めている「学び」です。
学校教育、特にその中核である授業が作り出さなければならない学びです。適切な言葉がなかなか見つからないのですが、僕は「体験としての学び」という言い方をしています。(もしかすると誰かが言っている言い方かもしもれません)
学ぶことそれ自体が目的としてあり、他のものには置き換えることのできないものです。その場に参加しなければ体験できない知的・芸術的体験です。「自分はなんのために生まれてきたのか。後何年生きるか知りませんが残された時間を自分のために使いたい。古い価値観を捨てて自分を見出したい」という思いに応えることのできる学びです。自分という存在の根源から生まれる欲求に呼応する学びです。
この学びは知識や技術の習得と密接に関わっています。文字や言葉の習得がなければ踏み入ることのできない世界があります。ある技術を手に入れなくては表現できない世界もあります。知識や技術の習得は同時に新しく広がる世界を手に入れることつながっています。あるいは、新たな世界に踏み入っていくための手段や道具ともなります。
知識や技術の習得は実利的な行為で、体験としての学びとは無縁のことのように思われるかもしれません。しかし、それは知識や技術の側に問題があるのではなく、それを人間の選別や序列のための道具にしたことに問題があるのです。飛躍した言い方をすれば古い価値を捨てて新しい自分を手に入れるためには九九が必要ですし、分数の割り算が必要です。授業が創造のための場である所以です。(ほ)
平和学講座のフィールドワーク
そして慰霊の日 専門部 吉田のぞみ
珊瑚舎に来て4ヶ月足らずの間に平和学でフィールドワークに何度も出かけた。
普天間基地・嘉手納基地、南風原の野戦病院、そして南部の慰霊の塔、壕。
沖縄に居なければ感じられないものがたくさんあるとあらためて思った。戦争というものが、この土地には色濃く残っているということが少しずつ見えてきたように思う。基地に行って感じたことは、あまりにも広く、そしてフェンスによって向こう側とこちら側で世界が分断されているとういことだ。基地の持つ様々な問題を知ったとき、基地に対しての意識が少し変わった。南風原の野戦病院の壕の入り口に立った時、(中には入れなかった)理屈ではなく、怖かった。近くの資料館には壕の中を忠実に再現した空間があり、そこですれ違ったおじいが、「もっと天井低かったよな」と話していた。そのときいやに沖縄という場所に居ることを実感した。
そして迎えた6月23日の慰霊の日(私は沖縄では休日になっているのを知らなかった。)珊瑚舎スコーレで魂魄の塔へ行き、思ったのはこの土地の人たちは亡くなった人をとても近くに感じているのだということ。不思議とお墓なのに怖いとは感じなかった。色々な想いを抱えながら集まった遺族の方々が居て、その雰囲気の中で今まで学んできた沖縄戦や、(沖縄戦に限らず珊瑚舎で学んできた事すべて関連してくる)実際行った場所や、今夜間中学で一生懸命に学んでいるおばあ達を思い浮かべ、漠然とだけれどそれぞれが繋がってきて、私の中で色んな思いが駆け巡った。
それが今でも整理出来ずに居る。この一年間という短い間でどれだけ形になるか分からない。けれどこれからまた色々な体験・学びを通して変化していくだろうし、自分がどうしたいかも見えてくると思うのでがんばろうと思う。
ハーリー最高
専門部ミサと中等部コーへーの合作
珊瑚舎で毎年出場している佐敷ハーリーに今年もみんなで気合を入れて参加した。練習は馬天一の舵取り、たけちゃんこと竹シゲ師匠が指導してみんなをひっぱった。
ハイ! ハイ! と馬天港ではスコーレの人々の高い声が青い空に鳴り響く。それと同時にたけちゃんの低い声もどんどん聞こえる。一人一人が順番にこがされたこともあり、全員筋肉モリリンになった。
そんなモリリンでのぞんだハーリー大会はみごとに晴天のハーリー日和となった。
会場には大会参加者のマッチョなお兄さん達が続々集まって来て、最初は(うわぁ〜、こんな人たちとやるのかぁー!!)と思いつつ大会の準備をしている人も多かったかな?しかしやるからには優勝ねらうっしょ!と、みんなでテンションを上げた。
そしていよいようちらの出番がきた。
最初は風丸チームからだ。ハーリーに乗り込み櫂を手にもちスタートラインに並ぶ、その時点で緊張と興奮でいっぱいになっていた。今までの練習の成果を全部出したかったし、自分の力全てを出しきろうと心に決めていた。
そしてついにスタート合図の旗が上げられた!!
その後はあまり覚えていない、、、そのくらい必死にこいでいた。ゴールした後は少し放心状態だった。後でタイムを聞いたら練習の時より落ちてしまっていた。正直めちゃくちゃ悔しくて、もう一回やりたいと思ったが、結果はどうあれ、やっぱり本番はめちゃくちゃ楽しかった!!
自分の力を全て出し切り、声も出し切り、みんなで息を合わせハーリーを漕ぐ気持ちよさは本当やばくて、ふだんのストレスも全部ポーンと飛んでくし、みんなの息がスゴイ揃ってハーリーがスーっと進んだ時の快感は本当にたまらなくすばらしいです。
また鍛えなおし、筋肉モリリンになってリベンジしたいと思う次第です。
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