>学校をつくろう!

  第37号より
「夜間中学校」の開設にあたって

 珊瑚舎スコーレは"始める時がものごとの始まりです。学ぶ喜びを刻む時計を動かし始めましょう。"という呼びかけと共に、4月から「夜間中学校」を開設します。  さまざまな理由で学齢期に義務教育を受けられなかった人たちが対象です。義務教育未修了者数の公式な資料は無いものの、全国に約170万人いると推定されています。特に沖縄では沖縄戦とその後の混乱と貧困が長引いたために、就学の機会を奪われたままの方が多いと言われています。また移民した県系の二世、三世の方が学ぶ場を求めて苦労しているとも聞いています。理由はそれぞれでしょうが、学齢期を数十年過ぎてなお、学ぶ意欲を持ち続けている人たちの願いを少しでも具現化できる場を作りたいと思います。
  那覇で夜間中学のドキュメンタリー映画「こんばんは」が上映されました。それが一つのきっかけとなり、12月に2紙ある地元紙が競うように夜間中学校の開設を報じました。社説でも取りあげ、沖縄で開設することの意義を訴えていました。その直後から何人もの方より問い合わせをいただきました。問い合わせをすることそれ自体が、大変な決心と勇気のいることが電話口からも伝わってきます。
県外に夜間中学があることは知っていたもののよその県に行くなんて無理と諦めていた方、入りたいが家族にも秘密にしてきたので今更打ち明けられないのではという方、中学と言われると小学校も満足に通えなかった自分は入学資格がないのではないかと不安に思っている方、その年だったら今時高校ぐらい出ているはずと周囲に言われ沈黙してきた方。言葉を選びながら話す様子に、これまで自分一人の中にしまい込んできた想いの一端が窺われます。なかには、死ぬ前に卒業証書を一枚でいいからもらって棺桶に入り、私も卒業できたよとあの世にいる親や友だちに報告したいと笑って話す80過ぎのオバァもいます。そう語るまでの時間はいかばかりであったか、こちらの想像の域を超えているに違いありません。
  1月13日から入学申し込み受け付けですが、思った時に動かないと自分の気持ちに迷いが出て、機会を失うのが怖いと12月中に願書を出しに来た人も何人かいます。
  新年、珊瑚舎に新里盛光さんが訪ねてみえました。新里さんは1975年、41歳の時に中卒資格をとるために家族と別れ大阪の夜間中学に入学した方です。卒業後、沖縄こそ夜間中学を必要としている所だと思いつづけてきたそうです。「小学校の仲間の多くも学校いっていない。でも、卒業していないのは恥じゃない。自分を隠して勉強しないことのほうが恥ずかしい。勉強しないと先が開けないんだよ。」と語ってくれました。「ないことをあることにするのは本当に大変なことです。だから自分が出来る事はしますので、やってくださいよ」と励まして頂きました。
  学ぶ場を求め続けてこられた方たちに応える場を作りたいと思います。珊瑚舎スコーレにとっても初めて経験することが多いでしょう。運営方法、スッタフ、教材など4月までにそれこそ手作りで準備をしなければなりません。是非、みなさんのお力をお貸しください。(え)


学校の役割   その30

   構造改革特区の一環として株式会社が運営する中学校の設置が認可されました。また、不登校などを対象にした小中一環の公立学校の設置も認可されました。どちらもこの4月から開校します。様々ある教育特区の動きとは別に、チャータースクール(簡単に言うと公設民営の学校)やコミュニティースクール(主に地域主体で運営される公立学校)などの設置を目指す動きも盛んです。
学校と一口に言ってもいろいろで、ここで言う学校は主に義務教育段階の学校教育のことです。現在の学校教育の枠を超えて、学校のあり方を考え、形にすることは大切なことだと思います。ただ、株式会社が学校を運営するとういことについてはいろいろな問題があると思いますが、今回はそのことについては直接は触れません。
日本の学校教育を考えるとき、どうしても触れておきたいことがあります。「学制」のことです。
  1872年(明治5年)、明治政府は「学制」を公布し、日本の学校制度はスタートしました。「学制」は学校教育の重要性を指摘し、国民皆学を目指しました。政府の経済的事情もあったのだと思いますが学校の建設費や学費などは地域住民の負担でした。「学制」で注目すべき点は教育の目的を自由で自立的な個人の育成に置いたこと、つまり教育の目的を国家に有用な人材の育成とは考えなかったことです。もう一つは教育内容も含めて学校の運営を地域住民に任せたことです。つまり、教育に国家が介入しないという考えです。明治の教育といえばすぐに国家主義の権化のような明治憲法や教育勅語を思い浮かべますが、当初は正反対の理念による学校づくりが始まったのです。自由で自立した個人の集合体としての国家のあり方を目指したのです。
  ところが、「学制」は道徳心の荒廃や愛国心の欠如を根拠に、その存在を誇示する必要があった天皇自身や国家主義者に批判され、7年後の1879年(明治12年)廃止、「教育令」が公布されます。さらに翌年、国家主義を前面に押し出した「改正教育令」が交付されることになります。福沢諭吉はこの政策転換を百年の禍根を残す大失政と痛烈に批判しています。この流れは1889年(明治22年)の大日本帝国憲法、いわゆる明治憲法の公布、翌年の教育勅語の発布へとつながります。その後の学校教育と日本がたどった道はご存知のとおりで、1945年8月15日に一応の終焉を迎えますが、紆余曲折を経ながら現在の学校教育に対する考え方のなかになおも色濃く残っています。
  学校教育のこれからのあり方がいろいろなところで考えられていますし、実際に機能もしています。そういう中に憲法の改正の動きと連動して、教育基本法を全面的に改定しようとする大きなうねりがあります。道徳心の荒廃や愛国心の欠如、権利意識ばかりが旺盛で義務感、責任感が希薄であること、あるいは"悪しき平等主義"をもたらしたことなどを改定の根拠にしています。
   教育基本法に問題があるのではありません。改定の根拠にしていることにひとつひとつコメントはしませんが、教育基本法の考え方をないがしろにしてきた結果が現在の学校教育の破綻を作り出しているのだと考えています。憲法の改定も同じことが言えます。その問題を素通りして、120年前もそうであったように、教育とは別の力学から発想された道徳心の荒廃や権利と義務の問題など、いつの時代でも問題にしようとすればすることの出来る、逆の言い方をすれば、いつの時代でも問題にしなければならないことを持ち出し、国家という制度を隠れ蓑にして、「悪しき平等主義」という言葉を作り出すような独善的発想が教育に介入しようとする動きには異を唱え続けなければならないと思います。(ほ) 


「とぅんじーあしび」
専門部 森口 明子

  12月20日、珊瑚舎スコーレの音楽室にて恒例の「とぅんじーあしび」が行われた。"冬至のパーティーである。と、一言では簡単なのだがお客様をお迎えするとあっては、ぶっつけ本番とはいかず、準備にそれなりの気合があった。まずは、いつものように生徒・学生の"がじゅまる会議"で今年のテーマについて話し合った。皆のアイデアはばらばらで振り出しから難題にぶつかった。数日を掛けてテーマは"ジャングル"に決定した。その後、本番の司会進行役や受付、プログラム、オープニング、ゲーム等の係りを決め、会場作りと同時進行で各係りの仕事を進めていった。また学年ごとの出し物も考え練習に励んだ。朝は9時のミーティングに始まり、放課後は6時まで会場作りという忙しい4日間が続いた。まず会場作りは要らなくなったダンボールを集め、頑丈に繋ぎ合わせ裏に"ジャングル"の絵を描き、筆を手に手に好きなペンキを塗っていく。―創造の世界―こんなに楽しいことはない。こんなに大きなキャンパスに思い思いの色を乗せていく。「あーそれいいね。きれい!」とか「うわーいかにも喰われそうな花。ジャングルだねー」とか、互いの創造力を刺激しあい次の新しいなにかが生まれていく。
   10月の後期から入学した私はまだ皆に慣れず、いまいち踏み込めずふわふわとした感じだったので、創造的な作業を媒介にしてそれぞれのいろんな所が見られて、いい感じで交流ができた。無理矢理に会話を持つのは苦手なのでこういう場はとても助けになった。珊瑚舎のみんなのいいところは、各々の感性がぶつかり合った時に相手を否定して自分の意見を押し通すような人がいないことだ。また、そんな人が居るはずも無い雰囲気がある。皆が互いの意見を尊重しようとする。けなす事などない。子供のうちはわがままでも仕方ないと思いがちだが、ここではどんな歳の子供にもそれが出来るのだ。私は毎回そういうところに感心してしまう。私が過ごした学生生活を振り返ると必ずや独裁者がいてその取り巻きがいて。何事の判断も独裁者の一存に流されて自分を隠す風潮があった。それに疑問を感じて自分の意見を言おうものなら変人扱いされて、あっという間にのけ者という環境だった。そんな中で独りの行動に慣れてしまった私は実は集団生活が大の苦手である。正直、初めはこの4日間の準備期間もあまりやる気がでなかった。しかし、ここは違った空気が流れていた。そういう空気からやる気は湧き上がってくるのだった。また、普段の授業では接することの少ない生徒達との触れ合いも大変貴重だった。透明な思い遣る優しさに心が洗われていくようだった。こんな環境で感受性豊かな学生時代を過ごしたかったと今更ながら思った。
   そんなこんなで私も会場作り、オープニング作り、専門部の出し物など普段使う事のない右脳と筋肉を駆使し、めくるめく4日間は過ぎ、いよいよ本番が訪れたのであった。当日は予想以上にお客様が多く、机に並ぶ美しい料理の品々はそれはそれは豪華で生徒たちは浮き足立っていた。土壇場まで試行錯誤を繰り返したオープニングはジャングルチックで不思議な世界に仕上がり、これを皮切りに次々と各学年やゲスト達の出し物が催された。他の学年の出し物にお目にかかるのはこの時が初めてだったので感動のしっぱなしだった。そんな私の隣で以前寮母さんだった"ナビ"さんの目が潤んでいるのを目にすると生徒たちの隠れた歴史を感じて、知りもしない私までうるうるしてしまった。たくさんの出し物と美味しい料理に舌鼓し、最後は事務局の人物当てゲームで無事"とぅんじーあしび"は幕を閉じたのであった。やはり何事も成すのは容易くないがだからこそ、その成果を感じる時の喜びはひとしおなんだなぁとあらためて感じられたよい機会であった。