学校の役割 その27
6月28日、北谷(ちゃたん)町で、高校生と中学生3人が仲間の中学2年の少年に暴行を加えて死亡させ、遺体を墓地に埋めるという事件がありました。昨年の11月には沖縄市で障害を持つ青年が集団暴行で死亡するという事件もありました。いずれも全国ニュースになりましたから、ご存知の方も多いと思います。
沖縄県議会は7月14日、全会一致で『・・・今回の事件を初め、青少年が加害者となる事件は、いずれも動機も背景も異なるものではあるが、その根底には「いじめ」、「不登校」、「放任」など幾つかの共通項がうかがえる。これらは事件を起こした青少年たちだけによる限られた問題ではなく、問題の背後にある大人社会のゆがんだ構造に深く根差していることが考えられることから、家庭、学校及び地域のあり方を初めとする社会全体の問題として取り上げることが必要である。
よって、本県議会は、次代を担う青少年が心身ともに健やかに成長できる社会の実現に向け、県民とともにあらゆる努力を傾注することを宣言する。』という決議をしました。
いろいろな思いがありますが、「これらは事件を起こした青少年たちだけによる限られた問題ではなく、問題の背後にある大人社会のゆがんだ構造に深く根差している」という指摘と、「あらゆる努力を傾注する」という決意に、ぼくは賛同します。ただ、一つだけ留保を付けたいことがあります。「大人社会のゆがんだ構造」とは具体的にどういうことを指しているのかと言うことです。
現実の社会は常に歪んでいます。その歪みはどういう鏡に映し出された歪みなのかがわかりません。もしかすると鏡を持たずに(あるいは自分だけの鏡を持って) 子どもが子どもを残忍にも殺してしまったという悲惨な現象を悲しみ、便宜的にそう言ったのかも知れないと思ってしまうのです。「ゆがみ」の中身がわかりませんし、どこまで議論をしたのかもわかりません。もしそういう便宜的なものだったら、この決議そのものが「大人社会のゆがんだ構造」から生まれたものだと思ってしまいます。ゆがんだ構造は肝心な時に便宜的な態度をとります。
そうでないなら県議会として「ゆがんだ構造」を具体的に指摘し、「あらゆる努力を傾注する」ための具体的な施策を提案してほしいと思うのです。そのための力になりたいと思います。そうしなければ、殺された少年の人生はあまりに悲惨なものです。殺してしまった側の少年たちにも同じようなことが言えます。
2000年6月、那覇市の高良で起こった少年暴行殺害事件のあと、このようなことを二度と繰り返さないようにと同様の決議や集会、アピールがあり、夜間の見回りや、声掛け運動などが行われました。熱心に取り組んでいた方々には申し訳ないことなのですが、「ゆがみ」(あるいは事件の本質)の把握は的を射たものではないと思っています。学校の外で何ができるかを一生懸命に考え、とりあえずできることをしているように思います。学校の中に入って行かなければならない問題です。
北谷町の集会やデモをテレビや新聞の報道で知りました。熱心に取り組もうとしている方々には本当に申し訳ないのですが、同じことを繰り返しているように思います。たすきを掛けて「大人」に対してアピールを読み上げる少年の姿を見ると、この事件とは遠いところから作文を読んでいるように感じてしまいます。事件の当事者の少年たちの状況を共有できるようなものではありません。
これは学校の今の姿の反映です。教員の姿の現れです。「学校にいる大人」は「大人」の影に隠れているし、さらに生徒の影に隠れています。もっと日常の痛みを捉えることができる言葉を語れるような場でなくてはなりません。(ほ)
沖縄だより その24
サポート授業スタッフ 北上田 源
「何かあるに違いない」そんな好奇心のみに導かれて沖縄に来て3年半。書きたいことはたくさんあるが、今回は特に沖縄の海について書きたいと思う。初めての大学生活、初めての一人暮らし。少しの不安を抱えたまま沖縄に来た自分を最初に出迎えてくれたのはやはり海だった。山に囲まれた京都で育った自分の知っていた海の色とは程遠い色をした那覇の海。思わずしばらくの間見とれてしまうとともに、沖縄に来たことを実感させられた。けど、そんな話を沖縄の人にすると吹き出されてしまった。「那覇に海なんかあったっけ?」と言って。
まず、沖縄の人は本土の人間が思ってるほど海に行かない(行くとしても、みんな日がかなり傾いてから行き、服を来たまま海に入る・・・日焼け対策?というパターンがほとんど)。それに、海に囲まれている沖縄でも、普通泳ぎに行ったり、人が集まったりする海は実はかなり限られている。以前家庭教師をしていた那覇の中学生は「海に行くのは一年に一度、家族でやんばる(沖縄本島北部)の海に行くくらいかな・・・」と言っていた。夏休み、部活の数少ない休みの日に友人と電車を何本も乗り換えて何時間もかけて京都北部の海まで行き、一日中海に浸かっていた自分からしてみれば「何で・・・」と言いたくなるところだが、沖縄の人にとったらそんなもんなんだな。身近にありすぎると分からないということはよくあるし・・・。
そんなことを意識して見ていると、沖縄のガイドブックとかに載っている海は大体同じような場所であることが多い。離島であったり、本島であっても本島北部・恩納村以北の、特に西海岸の海の写真に限られている。そして、それ以外の海のことは本土の人はもちろん、沖縄でもほとんど知らない人が多い。自分がこの4月に引っ越した家の30歩ほど先にも海があるのだが、その海もそんな海の一つ、あまり知られていない中城の海だ。
リゾートホテルが立ち並ぶ西海岸とはうってかわって、中城湾に面した沖縄本島東側に建ち並ぶのは老人ホーム、そして海岸には一部をのぞき石油備蓄基地や火力発電所のコンクリート堤防が続く。たぶん観光客として中城の海に来る人間はほとんどいないと思われるし、自分の周囲にいる沖縄の人たちにもあまりよいイメージはないようで、引っ越したというとみんな信じられないという顔をする。だけど、実際は案外捨てたもんじゃない。自分の家のすぐ後ろの海は幸いコンクリート堤防の切れ目で自然の砂浜があり、忙しい合間をぬって、暇な時は海岸の方で時間をすごすことが多い。時には泳いだり、本を読んだりするのだが、そうやってずっと海のそばにいると自然といろんなものが目に入ってくる。真っ青な空、白い雲、透き通る海、鮮やかな色をした魚、白いとはいえないけれどそこそこきれいな砂浜、色々な漂着物、波に打ち上げられてしまった海亀。どこからともなく現れて、海にゴミ袋を捨てていくおじさん。右手には石油備蓄基地と知念半島、さらにその先に久高島。左手には勝連半島と津堅島、夜になると波間に揺れる月とホワイトビーチ(米海軍基地)の灯り。海は時間の遷り変わりとともにいろんな表情を見せてくれるし、観光地化された西海岸の海では決して見えないものがここでは見えてくる。
それだけでなくて、この地域の歴史がまた興味深い。山手の方にはかの有名な琉球王国時代の武将・護佐丸の墓もあり、戦後は海外・本土からの引き上げ者を載せた船のための桟橋が作られた場所でもある。故郷を目指し、長い船旅を終えた人達が降り立った地であり、親類と一刻でも早く会うために沖縄中から多くの人がこの場所に押し寄せた。そこで再会した人もいれば、当然会いたい家族を失っていた人達もたくさんいる。さらに、自分の住んでるアパートのある一帯が、かつて米軍基地(キャンプ久場崎)であったということも最近知った。戦後そのキャンプが置かれたことで、戦前からあった集落の場所は南の方にそっくり移動、今では米軍基地の跡地に区画整理された住宅地が広がる。また、海に突き出る石油基地が建てられる時には住民の反対運動が起こり、工事現場の入り口に多くの人が座りこみ、10数名が逮捕されたという過去もある。もちろん、あんまり知られていないけれど・・・。
今はおだやかなこの場所で、そんなことがあったことを知っていたところで何か得をするわけじゃないし、知らなくても今この場所で生活していくのには何も困らない。けど、それを知ってからは中城の海の見え方が少し変わったような気がする。たぶん、自分にとってはそれだけで十分だと思う。
沖縄のことをそれほど知ってるわけでもないし、大した事を言うつもりもない。けどガイドブックなんかにでてくるリゾート、やさしい人、元気なオジー・オバー、癒しの島。あるいはニュースで出てくる戦争、米軍基地・環境破壊などなど・・・一言で単純に語ってしまうことのできない、いろんな「沖縄」が東海岸に集中している。そういえばジュゴンが生息するといわれる普天間飛行場の移設候補地も、埋立て問題で揺れる泡瀬干潟も東海岸にある。観光客はあまり訪れないが、ある意味「リアルな」沖縄が生で見られるのが東海岸じゃないかと近頃よく思う。西海岸できれいな沖縄を楽しみ、癒されるのもいいが、それだけじゃきっとつまらない。こいつはしばらく東海岸に腰を据えて、じっくりと沖縄なるものと向き合ってみる必要があるなと。かつて引き揚げ船用の桟橋があった辺りの海にプカプカ浮かびながら考えているこの頃だ。
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