>学校をつくろう!

  第32号より
珊瑚舎スコーレ
第一回 卒業を祝う会

 3月16日、「うりづん庭」の最後に珊瑚舎スコーレ専門部第一回・卒業を祝う会が行われました。卒業生は手塚あずきと手塚みおの二名です。代表の星野がそれぞれに辞を贈り、二人からも返礼の言葉がありました。お祝いとしてこの二年間を記録したアルバムと卒業記念のCD「花綵」を贈りました。その後、みんなからの一言メーッセージがあり、合唱で終わりました。なかゆくいをした後は、親の転勤で沖縄を離れる中等部の照本麦子、ほっちゃんスコーレ・ゆんたく講座の江藤慎一郎、はるか、智穂子さん、助川洋平、寿美子さんとのお別れ会をおこないました。続いてあずきとみおの自作の歌、いろんな人たちの送別の歌、にわか鍋蓋エイサー隊、そして45分続いたカチャーシーと涙と笑顔のパーティーでした。 卒業を祝う会で交換された卒業生と星野の言葉を載せさせて頂きます。

手塚あずきさんが珊瑚舎スコーレ専門部を今日、卒業することを皆さんと認め合うための辞」

 二年まえのちょうど今頃です。珊瑚舎スコーレに入学するために、沖縄にやってきたあなたを那覇の港に迎えに行きました。あなたは膝を抱いて石にちょこんと座り、海をみていました。妹と犬も一緒でした。その時からあなたと珊瑚舎スコーレの時間が動きはじめました。  開校前の言葉の中だけにある珊瑚舎スコーレに、あなたは人間の形を与え始めました。それから二年が経ちました。とても短い時間です。でも、その時間はあなたがつくった歌の詞にあるとおり、「きらきらひかるみんなの心と一緒にいられてうれしいよ」という言葉にぎっしり詰まっている時間だったと実感しています。あなたはそういう場をつくる力を持っています。あなたの宝物です。その宝物を珊瑚舎スコーレはあなたからもらいました。ありがとう。  あなたと今日ここでもう一度、共有したいことがあります。「人は愛するために学ぶ」ということです。
           2003年3月16日  珊瑚舎スコーレ 星野 人史

「珊瑚舎スコーレへ 愛をこめて」
手塚 あずき
二年間ほんとうにどうもありがとう。短いようで長くてやっぱり短かった。この二年間は私のなかにみんながいっぱいです。珊瑚舎スコーレは結果よりも経過を大事にする。沢山の出逢いがグルグル渦巻き そしてまた つながる つなげて 生きたい。 ほっしー  私はあなたが大好きです。  私はみんなが大好きです。 ほんとうに 大好きなのです。



「手塚みおさんが珊瑚舎スコーレ専門部を今日、 卒業することを皆さんと認め合うための辞」

 一年目の入寮を祝う会の時、あなたが作った絵本をみせてもらいました。形になりかけようとしているあなた自身を見せてもらったように感じました。この二年の間、あなたはあなた自身に形を与えようとし続けていました。  珊瑚舎スコーレの学びがその手助けになっているように心から願います。時としてその学びの中身は受け止めようとするあなたの手のひらからこぼれ落ちそうになるほど重く感じることがあったかも知れません。それはあなた自身がもっている学びにする誠実さの所以だと思います。気負いのない誠実さです。あなたの宝物です。この宝物にあなたがどんな形を与えるのか、ぼくの密かな楽しみになっています。  珊瑚舎スコーレをあなたの止まり木にして下さい。ちょっと立ち止まって考えてみたい時に、ここでの二年間をあなたの止まり木にして下さい。  あなたと今日ここでもう一度、共有したいことがあります。「人は愛するために学ぶ」ということです。
           2003年3月16日  珊瑚舎スコーレ 星野 人史

「珊瑚舎スコーレへ 愛をこめて」
手塚 みお
 珊瑚舎スコーレで過ごした二年間は、私が今まで過ごしたどの二年間よりもいろんなことが足早に過ぎ、密度の濃い時間でした。そして苦しくて辛いものでもありました。いつも突きつけられてきたからです。私が何をしたいのか、今どうすべきかを。珊瑚舎はみんなで"場"をつくっていくところです。どういう場をつくりたいかは自分次第なのです。だから私自身の在り方が大事になってきます。これは私が珊瑚舎で得た大きな学びでした。出会った人たちといい場をつくっていきたい。  珊瑚舎スコーレがこの先どんなに形を変えても私の中の珊瑚舎は変わりません。ずっとずっと生き続けます。学びに素直になって、そして繋げていきたい。たくさんの人との出会いが私を少しだけ強くしてくれました。  卒業をお祝いしてくれてありがとう。  二年間本当にいろんなものをありがとう。  みんな、これからもいい笑顔をつくっていきましょう。



              〜 うらやまし! 〜
                     アジア講座 講師 平良 次子
 昨日はほんとうに泣けてしまいました。こんな卒業式もあるのか、こんな絆もあるのかと、心が揺れ動いていました。つきあいは長さや深さでもなく、一瞬の理解っていうものもあるのではないかと思いました。いきなり訪ねて、あの場所に居合わせた人でも、充分珊瑚舎の雰囲気やつながりや、生き方や、人生やいろいろなものを感じ取ると思うのです。  一瞬、心のひだに入って吸い込まれた、という感じでした。私も関わることができてほんとうに嬉しかったです。 星野さん、おめでとうございます。星野さんの思いの形だと思います。なんてのびのびした輝く子どもたちなのでしょう。うらやましい。


学校の役割    その25

先日、教育を考える小さな集まりに5人のパネラーのうちの1人として参加しました。「教育」ではなく「共育」という言葉をコンセプトにしたものです。子と親、生徒と教員、子供と大人が「共に育つ」ような場を考えようというものでした。  沖縄の学校教育の現状について何度か触れたことがありますが、今回の集まりで教員の一つの典型を目の当たりにしました。 沖縄は各学区ごとに学力向上推進対策委員会を設け、ヤマトゥの学力に追いつけ追いこせを県をあげて進めています。学力は進学のためのテストの成績やより上級の資格を取得すること、あるいはいろいろなコンクールなどで優秀な成績をおさめることで結局は計られます。教育の目的は生徒の内側にあるのではなく、生徒の外側に置かれることになります。当然のことながら歪が生れますから、それに疑問を感じ何とかしたいと思う人も現れます。その会にも当然そのような思いをもって参加した方もいます。 ある方がご自分の子供を通わせる学校のあり方について疑問を投げかけたことに対して、教員をしているという方が、学校は行ってもいかなくてもいいところで、いやならその学校をさっさと辞めて他のところに移ればいいと言う趣旨の発言をしました。 こういう発想が多い。一つの典型です。問題を一緒に考えようとする感性が欠如しています。異質な他者を遮断してしまう。おそらく学校でも生徒に対して同じような対応をしてしまうのではないかと思います。不登校の問題で那覇市の教育委員会の関係者や那覇の市立中学の校長と話したときにも同じようなことを感じます。生徒や父母と同じ目線に立とうとする感性がありません。 沖縄の学校や教員の生徒観はヤマトゥの15〜20年前の状況に似ています。また、沖縄では教員はヤマトゥよりずっと社会的地位が高いです。高学歴で社会的な身分が安定していますからエリートです。学校はあらたまった場で教員は偉い人です。 日本復帰運動当時、教員の組合は復帰運動の中心的な組織でもありました。復帰前後多くの若者がヤマトゥの大学で学び沖縄で教員になりました。ヤマトゥの生徒と肩を並べる「デキヤ−(優秀な人)」を沖縄は育てなければならないと痛感したそうです。生徒個々の状況より沖縄が置かれた状況をなんとかしなければならなかったのです。敗戦後のヤマトゥも同じでした。現在も多くの学校関係者のリアリティーはここにあります。 さらに、現在の沖縄の生徒は情報化社会の中で、学校がかつてより相対化された時代を生きています。沖縄の学校が抱える学校・教員と生徒・父母のギャップはヤマトゥより深刻です。不登校問題に対する学校や教員の対応に象徴的に現れています。現実に対応する回路を持てずにいます。学校に問題はなく生徒に問題があると考えているうちに状況は深刻化するばかりだと思います。(ほ)