第33号
連載・聞き書き その29
娘がテレビ放送の夜間中学の番組をビデオに撮って、「母さんこれを見なさい。上等な学校でしょう。ぜひ行ったらいいよ。」と強く勧めてくれました。この歳になって学校に行ってもなぁとちょっと渋ったのですが、あまりにも勧めるので娘の言うことも聞かないと思って入ることにしました。娘に感謝しています。
中学3年の秋に風速80メートルとも言われる大型台風が沖縄を襲いました。アメリカ軍でさえ脅威に感じた台風でした。私の家は海岸近くにあり、夜になって母が尻が濡れていると騒ぎ始めました。家の戸を開けると水がどっーと入ってきました。9人の子供と両親と11人家族です。逃げろと言われ外に出ると道の上で水が渦を巻いています。恐怖でした。私は4歳の妹を負ぶって隣の家に奄美大島から牛の買い付けに来ていた大男のおじさんの裾にしがみついて渦を渡りました。おじさんは何度も離せ、離せと怒鳴ったのですが必死にしがみつくしかありません。山の上までたどり着き、避難した人々は役場に集まりました。翌日母と乳飲み子だった弟は流されて隣村で見つかりました。親戚も集まり2人をきれいして門中墓(沖縄特有の一族の墓)に埋葬しました。父は果物の卸業を那覇でしていましたので姉がそっちの手伝いに行き、私は小さい兄弟の面倒を見ることになり卒業はしませんでした。
小学1年の時に10・10空襲があり、当時住んでいた辻町も大変な空襲にあいました。兵隊さんがこれからもっと激しくなるというので中部に逃げました。あっちこっち彷徨って父の実家があった今の豊見城の与根に帰りました。B29の爆音が激しい日々でした。食べるものは無かったのですが逃げた馬や牛が結構いて、特に馬はたくさん食べました。芋はだれの畑ということもなくあればいち早く掘ります。芋を掘っている最中艦砲射撃があると母は音でどの辺に落ちるか分かるようになっていました。アメリカ軍が上陸して各家々を回り、日本兵を探し始めました。ゲートルを巻いた人間はいないかと天井を銃剣で突いて探すのです。捕虜にされトラックで与根を発つときも糸満方面は艦砲射撃を受けていました。1年ほどして与根に戻り地区の小学校に入りました。さっき話したとおり中学校を卒業できませんでした。兄弟の面倒をみるだけで精一杯でしたから。
しばらくして近所のお姉さんのオシャレに憧れて軍のウエイトレスになりました。物資の豊富さに圧倒されますよ。もらった給料でリップスッテクを買ったりしました。ちょうど朝鮮戦争の時でしたからすごい人数の兵隊がいました。パンが足りずクラッカーでサンドイッチを作る時もありました。英語の時間にあんた軍にいたでしょと隣の席の人に言われましたが、多分この頃の名残でしょう。軍でしりあった人と結婚しました。子供が出来ず諦めていましたが42歳で恵まれました。夫と二人で万歳をしたことを覚えています。書く仕事はできませんが働くのは苦にならず生命保険会社、料理屋、ホテルなど70歳になるまで働いてきました。働き口があれば今でも働きたいですね。
夜間中学は入って本当に良かったです。分かることがこんなに楽しいことだとは知りませんでした。こんな学校があると知ったらみんな通いたがると思います。<A・Kさん談>
今年の卒業生の一人から聞きました。あるサークルで一緒だったんです。その彼女が夕方になるとソワソワするし夜に電話をしてもいないので、なにをしているのか聞いたところ夜間中学校に通っているということでした。様子を聞き、私も通いたいと思ったのです。一緒に誘ってくれたら同時期に入学したはずです。知った時は年度の途中だったのと身内が病気になったりで3年遅れで入学しました。
中学は卒業していますが、父が常々語っていたことが頭に残っています。学歴は問題じゃない、学ぶ機会があればいつでも学ぶべしという言葉です。両親はヤンバル(沖縄の北部)の田舎者で尋常小学校しかでていないはずですが、いつも聞いていました。ですから今夜間中学で習っている算数にしろ日本語にしろ無駄はありませんし、むしろ過去の思い込みが邪魔する時があります。今のほうが新鮮というか、自分の本当の勉強は今始まったんだと感じます。
5年ほど前から、70代や80代の年配の方々との交流があります。この方々は沖縄戦の体験者です。女学校時代に勤労学生として動員され、敗戦後は学校に戻ったり断念したりと様々な生き方をしてきました。そうした方々が今だから話せるけどと戦争当時やその後混乱期のあれこれを語ってくださいます。その話のなかから自分なりに学ぶことが多くあります。夜間中学のクラスメイトの方たちも同じです。教室で学校に通えなかった自分の生い立ちをざっくばらんに話して笑ったり、肯いたりします。そうしたクラスの仲間に囲まれていること自体が学びです。楽しい学びです。クラスの雰囲気もよく、お互いに教えあったり、声をかけあったりしています。ですからみんなの顔を見るのが楽しみで、仕事帰りだから疲れるということはなくむしろ逆です。仕事の都合でつき2回ほど早退しますが後髪を曳かれます。生活に役立てるために学ぶというより自分のために勉強したいのです。自分の世界を広げ、それを誰かに伝えたい、もっと言えば誰かの役に立ちたいと思います。そのための基礎を付けたいのです。コーラスも三味線も好きです。ただ三味線は指が固くて苦労していますが楽しみな時間です。家族の反応ですか。夫は単身赴任なので電話で伝えたら、あっけにとられて帰す言葉がないという感じでしたが、元気でいてくれたらいいよと言ってくれました。<E・Hさん談>
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