>学校をつくろう!

●●●まちかんてぃ!通信●●●
第27号

 連載・聞き書き     その23

   夜間中学は今年の6月にテレビを見て知りました。生徒さんたちの姿を見ていいなぁと思いました。子供3人も家内も私が小学校を半分しか出ていないことを知りません。今回初めて打ち明けました。迷いもありましたが思い切って門をたたきました。
 離島で生まれました。4歳の時に母がマラリアで亡くなりました。井戸水をタライに汲み芭蕉の葉を斜めにして頭を冷やし看病しましたが甲斐がありませんでした。暑い時期で2日ほど墓の前に置いていたらお棺の中の母が口から泡をふいておりショックを受けました。父は防衛隊に取られており5人兄弟だけで暮らしていました。小学校に入学したもの戦争間近だったので防空壕に入る練習が主でした。入口が2つあり、一つは階段でもう一つがすべり台になっていて水をかけて練習しました。台湾に疎開する話もあったのですが、石垣に移りました。父は沖縄島に行ったきり帰って来ず、その後6年間不在でした。17の兄が鍛冶屋16の姉が農家の手伝いをしていましたが、今でゆうPTA会費などが払えず、その度に先生に怒鳴られ竹で殴られ、からかわれるので次第に学校から遠のいてしまったのです。9歳ぐらいから近所の漁師のところで手伝いをし食べさせてもらうようになり、その家には買われて来た少年もいたので一緒に網の修理などの仕事をしていました。父がコザに居ることが分かり引き取られました。料亭と言っても米軍のベースに近い売春宿を新しい母親と営んでいたのです。中学の年齢なので学校に行きたいと言ったのですがドラムカン6つの水汲みと薪集めをダレがするのかと言われ、そのままになりました。その後菓子屋に奉公し、そこの食事は生まれて初めてこんなご馳走もあるものかと思うものでした。出来上がった菓子は自転車に積み名護方面まで売りに出かけます。売れなければ帰り道は嘉手納、北谷まで行きます。無理して体を壊しその後は職を転々としました。
 最終的には料理人として50年近く働きました。レストラン、割烹、ホテルなどです。最初はAサイン(米兵の立ち入りが許される飲食店)の店でしたので伝票はすべて英語です。ウエイトレスに教えてもらい必死に暗記しました。ステーキにしても焼き方が6種類もあり大変でした。ベトナム戦争のころも軍艦が入港すると米兵が女性連れで町にあふれ、いい客でした。タクシーの運転手が船が入ったよーと連絡してくると普段より多くの材料を仕入れておくのです。一生懸命働きました。人が9時間働くとしたら12時間は働きます。でもどんなに頑張って努力しても学問がない、字が書けないので責任のある立場になれません。書類が書けませんからね。そうした立場になりそうになると自然に身を引いてしまうのです。悔しいですよ。役所関係は家内に頼んでいました。
 夜間中学に通い始めた頃はエンピツを持つと手が震えました。ガタガタするのです。家内が最初のころのノートを見て字がきれいになったというのです。嬉しいですね。今までも見よう見真似で写すことはできましたが、意味が分かって書けるようになりたいです。書き順を教わってから字の格好が良くなったと自分でも感じます。社会の時間に沖縄のことを勉強するのが好きですし、字を書けるということだけで楽しいのです。4時過ぎたら学校に行く気持ちで一杯です。(O.Dさん談 2006.10.26.)

   星野先生だと思うのですが2,3年前に朝のラジオで夜間中学の話をしていました。その時「一緒に遊びましょう」と言っていたのが耳に残っています。104番に問い合わせたのですが、分かりませんでした。新聞も気をつけていたのですが捜せず、今年になってもう一度104番にかけたら珊瑚舎の番号がわかり、すぐ電話をしました。2月9日に申し込みをしました。3月に入って「入学を祝う会」の案内が郵便で届き、それを見た時本当に入学できるんだという実感がわいてきて嬉しかったです。
 小学2年までは学校に行きました。足し算は友達に教わった記憶があります。戦争があったので学校に行くどころではなくなりました。両親は私を生んでから離婚しそれぞれ再婚をしたので戦争当時はおばぁと自分だけでした。親戚を頼ったりし、あふぁあふぁしているうちに捕虜になりました。戦後は母方に引き取られました。異母兄弟が6人いて私が長女です。仕事はいっぱいあって学校に行きたいとは言いがたいものがありました。よくしてくれましたが遠慮があるし、育てもらう義理がありますからね。兄弟の世話と畑仕事に明け暮れました。芋を増やさないといけないし、水汲みも子供にとって大きな仕事です。親戚の井戸から汲ませてもらう時もありますが、部落の大きな井戸(カー)まで行くのは遠かったです。四角い一斗缶を天秤棒の両端に括りつけ担ぐのです。20歳過ぎまでハルサー(畑人)で、その後結婚しました。知り合いの紹介で向こうもハルサーです。私が家を出ないと母の立場もいろいろあると思っての結婚です。子供2人はそれぞれ独立しています。
 結婚後はハウスメイドや掃除中心の仕事をしてきました。体力はあるけど頭がないから、書き物が必要な仕事は無理なんです。でもずっと思っていました。いつか学校に通いたいと。だから今入学して、よく学校にたどり着いたと思います。勉強をしてもいいよーと言う事なんだと。
 入学式ではお祝いをしてもらいとっても嬉しかったです。ご馳走まであってこんなにしてくれるのかと思いました。授業が始まって初めは緊張しました。2,3日は自分は出来るだろうかと不安でした。隣の人を見るとノートをきれいとっていて自分だけが出来ないのではと焦ります。でも、楽しくて学校に足が向くんです。机があって、椅子があって座っていることが幸せです。そしてその前にクラスメイトが座っています。教室が好きです。 (W.I.さん談 2007、4,24)