>学校をつくろう!

●●●まちかんてぃ!通信●●●
第26号

 連載・聞き書き     その22

 ここの夜間中学は新聞でしりました。昨年の入学式の記事でした。電話しましたが出た方の声に圧倒されて思わず切ってしまい、2度目で申し込みました。
 一応中学を卒業しています。小学校は体が弱くすぐ熱をだす体質だったこともあり、あまり行きませんでした。中学は1年の時は少し行っていましたが、学校の改築で教室の場所が何度か変わり、それが面倒でした。その度ごと職員室にいる先生に教室の場所を尋ねなければいけません。先生のお前なにしに来たんだという態度を見せられると足が遠のきました。2年生はほとんど行きませんでした。兄が2人いますが一番上の兄が家出をしており、その仲間にアイツの弟ということで可愛がられ、あちこちで遊び回っていました。住んでいたのは大阪の沖縄部落と言い、沖縄の2世、3世がたくさん住んでいるところです。遊ぶといっても材木工場の木材で小屋を作り一週間ほど家出をしたり、野原の穴を掘って隠れ家をつくって警察や先生に追い掛け回されたりです。沖縄でいう“山学校”です。それでも中3は最後ということもありいくらか通いました。でも、勉強についてゆけず机の番をしているだけです。焼き場の煙を見つめて時を過ごしていました。教室の雰囲気も就職クラスと進学クラスに分かれており、あまりいいものではありませんでした。ちょうどその頃、両親が下の弟2人をつれて沖縄に引き上げることになりました。私は毎日ほっついて歩いているようなものでしたから、名目は叔父さんのところにあずけられることになり、アパートを借りてもらい一人暮らしでした。ちょうど自由になりたい時でもあり、良かったのですが仲間の溜まり場になってしまいました。形だけは中学を卒業し印刷会社に勤めました。仕事以外にすることもなかったので、残業、休日出勤も喜んでやりましたので良く働くヤツと思われていました。2年後東京支社に転勤になりました。寮に入り朝昼晩の食事つきだったので生活には困らないし、仕事も楽で楽しかったです。自分では一人前のつもりでした。
 20才の時、他のことをしたくて辞めました。でも、なにをしたらいいのか分かりません。とりあえず久しぶりに親の顔でも見ようと沖縄に来ました。パスポートが必要な時代です。それまで23年生まれと思い、パスポートもそうなっていましたが、沖縄の役所で22年生まれとなっていると知らされ、ちょっと楽しみにしていた成人式は1年違いで出られませんでした。それ以来沖縄です。父が結核で倒れたこともあり、これまでの貯金はみんな母にあげました。東京や大阪の経験がかわれ縫製工場のプレス工になりました。糸満の先輩にも可愛がられ、家内ともこの職場で知り合い結婚しました。この時代は繊維の輸出が盛んで営業の仕事もしました。人の出会いに感謝しています。いくつか仕事を変わり、今はある研究所の雑役夫をしています。ここにきてびっくりしたのは勤務時間が決まっていることです。それまでは残業等で12時間労働も当たり前でした。夕方5時30分に帰れるなら、前から考えていた学校に今なら通えるではないかと思ったのです。学問がないこと、学歴がないことは何かにつけて苦労でした。沖縄に来てからやり直したいと思いつつも、内地に戻るしか方法がなかったので諦めていました。基礎をやり直し、いずれは高校に進みたいです。自信がつけば夜間中学に通っていることも母や兄弟に話すつもりです。
 沖縄に夜間中学ができたことは本当によかったです。感謝しています。ただ困っているのは先生が毎日変わるので一貫性がないことです。日本語はテキストがあるのでなんとかなりますが、数学、英語にも共通テキストがあれば自分なりに予習、復習ができます。クラスは私語が多く、お菓子を食べるなどのけじめがない面もありますが楽しいですよ。(G・Iさん談)

 夜間中学は去年のテレビニュースで知りました。あー通いたいなぁと思ったのですが、戦争体験者でなければ入学できない雰囲気が感じられてためらい、そのままになってしまいました。ところが今年(2006年)の6月23日の慰霊の日にテレビの特集番組として夜間中学が取り上げられていたのを見ました。再び勉強をしたいという思いがこみあげてきました。ダメでもともと、まずは電話をしてみようと思いました。たかが電話ですが私にとっては勇気が必要でした。一度来てみてくださいと言われ、その日に来ました。家族のだれにも相談していませんでしたが自分の中では入学すると決めていました。
 幼いころ父を交通事故で亡くし、母が一人で8人兄弟を育ててくれました。子供たちが育ち盛りの時は生活が大変で、生活保護を受けていました。学校に行くと先生から「校長室に行ってお金をもらっておいで」などと級友の前で言われ傷つきました。今なら心無い教師と言えますが当時は恥ずかしさで一杯でした。生まれつき体が弱いこともあり、学校から足が遠のいていきました。母の仕事の手伝いをしていました。結婚してからは体のこともあり専業主婦として過ごしてきました。自分が勉強できなかったこともあり子供2人の教育には気をつけて育てました。そのかいあってか子供2人は大学まで進み、きちんとした仕事についています。
 ただ、自分自身についてはうまく言えませんがずうっと目の前が暗い状態です。勉強をしたい、自分を取り戻したいという思いが募るのです。生活上はそれほどの不便はありませんが気持ちの上でのハンディが大きいのです。人が分かっていることを自分も分かりたいという欲求が長い間閉じ込められているのです。こうした気持ちは家族にも言えないことでした。自分自身が恥ずかしいのです。
 今回、夜間中学に通うことは事後承諾のかたちで夫に伝えました。私の話を聞いて「分かった。続けたらいいよ」と言ってくれました。学校までのバス代はかなりの額になりますが、お金の問題ではありません。なんとしても通いたいのです。今は充実しています。知らないことを知る喜びがあります。最初は教室で緊張していましたが、分からないことを分からないと言えるようになっています。読み書きを自分のものにしたいです。そのためもあって入学した時から日記をつけ、娘に見てもらっています。日々の出来事などを短い文章で綴っています。ひらがなで書いた後、漢字にしたい言葉を辞書で引きます。娘からは簡単なことでいいよ、難しい言葉を無理に使わないでねと言われます。小学低学年の漢字から始めて使いこなせるようにがんばっています。(Y.Uさん談)