>学校をつくろう!

●●●まちかんてぃ!通信●●●
第24号

 連載・聞き書き     その20

 テレビで知りました。番組の途中だったので連絡先を局に問い合わせました。編入も出来ますよと言われましたが体調に不安があったので、この春まで待ちました。
 戦争の時、私は小学3年生でした。家の近くには大きな壕(ガマ)があり、どんなバクダンがおちても大丈夫だと思っていましたが、10月10日の空襲のあと那覇からの避難民も増えました。新聞には毎日、友軍(日本軍)はものすごく強く敵機を何十機も落とし、軍艦を何百も撃沈したと載っているそうです。でもカンポーやバクダンは日に日にはげしくなりガマから出られる時間が少なくなりました。 母はもうここはだめだと南部へ逃げる事にしました。父は防衛隊でいません。島尻に行く道々死人の数が増えてきました。5才の妹が歩けなくなったので荷物を半分捨て、妹をおぶる事にしました。道ばたで死んでいる兵隊のゲートルをはずして繋ぎ帯を作りましたが、はずすのが大変でした。私が片足を持ち上げ、母がはずしましたが、片足が重くて靴のかかとを持ち上げたとたんにポロッと腐った足がぬけ、ウジが、顔までとんで来きました。
   泥水を飲み、あらゆる草を食べました。井戸に向かって歩いていた時、低空してきた飛行機からの射撃で人がパタパタと倒れ井戸の中にも落ちます。でも皆水をくむのに必死で、倒れた人を押しのけ血の滲んでいない処から、水を汲んで逃げます。死人の山、水、水と言いながらもがいている人、ただ、呆然と傷口のウジを木の小枝で取っている人。死んだ母親の背におぶさりながら子供が泣いています。私の友達は臀部をもぎ取られて置き去りにされ、畠の中ではいつくばりながら私の名を呼び、水をせがんでいす。でも私の持っている水は妹のために取っておかなくてはならないのです。その後、摩文仁で怪我をした父に会いました。皆行き先は糸満。たれかが浜伝いに「国頭突破」(沖縄の北部に逃げる)をしようと言いだし、夜を待って喜屋武浜に下りました。海で死んでいる人はきれいで色が白く太っていました。女一人で子供を3,4人連れているお母さんは下の小さい子を残して行くのです。2日前に生まれた赤ちゃんと2才の子を置いて浜に下りようとした時、2才の子が「アンマー アンマー」(お母さん、お母さん)と泣きながらついて来ます。そのお母さんは「あんたはボーボー(名前のない赤ちゃん)と一緒にいて」と言い、ちょっと押し返そうとしたら崖からころげ落ちていきました。
 翌朝、戦争は終ったとのビラがまかれました。信用しないままに行き、捕虜にされました。DDTで真っ白になり、傷の手当てをうけ生き延びた私は“カンポーのクエゐくさー”(艦砲射撃の生き残り)です。
 戦後はマラリアの熱と闘うことと遺骨収集から始まりました。同じ町内は摩文仁の一箇所に集められました。学校のテントを張ろうとするのですが遺骨がバラバラとあります。大人たちの姿を見て、子供たちもテントをモッコにして自然と集めるのです。そこは今「魂魄の塔」が立っています。
 しばらくして元の町に帰りました。戦争で父が怪我をし、それを補おうとして母が病気になり学校どころではありません。父は母と妹のために畑100坪と乳ヤギ1頭とを交換して、その日その日の生活で精一杯でした。菓子屋に子守奉公にでました。子守だったのですが、朝3時に起きてその日の菓子作りに使う水をつるべ井戸から汲み上げ、職人の朝ごはんを作ります。配達をして残った菓子は町で立ち売りをします。でも苦労だとか自分を哀れむ気持ちはまったくありません。給金で一家が食べていけるのです。年季が明けてからは自分で商売をしました。行商です。ガム、素麺、コンブ、するめ、こんにゃく等なんでも売りました。郊外で売り、帰りはそこから大豆を買い街の豆腐屋に売るのです。やっと人並みの生活が出来るようになったら母が亡くなりました。その後結婚をし、4人の子供を育てました。
 勉強ができなかったことはいろいろな場面で苦労です。以前は役所には代書屋がいたのですがいなくなり、自分で記入するのですが係りの方からあなたの名前の漢字はこれでいいのですねと言われドギマギします。カタカナでしか書けないので自分の名前の漢字すら分からないのです。また着付けの教師になっても実技はいいのですが教室の生徒の名前が書けないのです。ボランティアをしたいと望んでもアンケートの記入が出来ません。
 夜間中学に入ろうと思ったのは勉強をしたいと同時に同級生と呼べる友人が欲しいからです。そして生涯に一度卒業証書を欲しいのです。授与される場面に立ちたいのです。夫に話したら「お金と同じで、あの世に習ったものを持っていくことはできないよー」と言うので「極楽に入る時に試験があるかもよー」と言って大笑いをしました。学ぶことはなにもかも始めてで、とても楽しいです。これまではエンピツはドラムカンより重いと思っていましたが、今は軽くなりました。(K・Wさん談)