>学校をつくろう!

●●●まちかんてぃ!通信●●●
第19号
連載・聞き書き その16

 6月1日のテレビニュースを見てびっくりしました。夜間中学校、まさか沖縄にあるわけないと思っていましたから、頭をガーンとやられた気分でした。まったくの無学ですがと電話をしたら、そういう人のための学校ですよと言われ嬉しかったですねぇ。
 小学1年の時大阪から本部に引き上げてきました。とは言っても親は内地で私たち兄弟3人だけが叔父、叔母のところに別ゝにあずけられました。タライまわしです。みんな貧乏ですから父が仕送りもせず、子供を送りこんだ形なのでゴクツブシのように扱われました。叔父、叔母は気の向くまま叩く、殴るを繰り返します。今でいう虐待です。親戚が集まり「この子はチーヂイ(遊郭に売る)したら海に身を投げるだろうから、どうするねー」と相談をしたそうです。子供心にも遊郭は焼き火箸でいじめられると聞いていたので怖かったです。でも、今思えばそのほうが良かったかもしれません。もしかしたら学校に通えたかもしれません。
 小学2年の時、大宜味の根路銘(ねろめ)の教員の家に100円で売られました。一生奉公ですから年季はありません。子守りは楽な仕事で、もっぱら畑仕事をしていました。戦争も末期で食べる物もなく、顔がむくみ腹が膨れあがります。沖縄戦の終結で米軍が来てこの奴隷状態から解放されました。配給のチーズを食べて力が戻ったのです。アメリカさんには感謝しています。もう一度救われたことがあります。大きくなってからですが、お正月で瀬底島に帰省していた時です。飛行機の燃料タンクを改造した船に乗って、友達たちと映画を見に行きました。とちゅう波にあおられて海に投げ出され、必死に泳いだのですが友だちはぐったりと浮かんでいるだけです。その時、野球をしていた米兵たちが病院に運んでくれ間一髪で救われました。
 終戦で叔父の家に戻され、学校に行きましたが10日間ぐらいでしょうか。叔父が行かんでもいいと殴り、その手から逃げて通ったのです。これではダメと思い、この家を出て渡口の食堂で働きました。14才の時です。でも、叔父が給料の前金を取りに来るので、名護の食堂に代わりました。でも前借りされ同じです。それから石川に移り、16才で米軍の子守りになりました。普通1ヶ月300円のところが350円と給金が高かったのですが、なんだか仕事がものたりなくて辞めました。那覇に移り食堂の厨房で睡眠時間3〜4時間で昼夜働きました。祖母を引き取り兄弟に仕送りするために必死でした。久米島に移り働いていた時、主人と知り合いました。働き者と見込まれたようです。かなり年上でしたが、この人と結婚すれば兄弟に仕送りができると決心しました。字が書けないのでカタカナで学問もないし、親もない同然ですがいいですかと手紙を書いたら、いいよということで結婚しました。
 しばらくして夫の実家に帰ることになり岩手県に行きました。風土も違いますが、沖縄人であること、身分違いであることからかなりイビられました。本当はこの女と結婚するはずだったのよと写真を見せられたり辛かったですね。でも学問ができないのは私個人のせいではないと思いますから引けはとらない気持ちでやってきました。一度子供を連れて横浜に逃げたこともあります。それもあり、一家で沖縄に戻ってきました。それからはほとんど私が中心になって働いてきました。バー、おでん屋、食堂とつい4年前まで商売をして子供を育て、病気で倒れた夫を看病してきました。
 夜間中学に通い始めた3日間ぐらいは脳の神経がピクピクしました。私はこれと決めたら熱くなるほうで、開き直ったら冷静についていけます。生活をしていてなにが怖いって字を書くことです。家では書けるのに人前では震えて書けません。娘はコンプレックスじゃないのと言います。だったら克服します。今は学校に行くことを思うと朝からなにかと活動的になります。友達にも夜間中学に行っているよと宣伝しています。<K・Tさん談>


 昔のモアイ仲間だった友達にそれこそ10数年ぶりで電話をしたら、夜間中学校に通っているというのです。話を聞いた時は塾と勘違いをしていましたが、そうではないことが分かり早速申込みをしました。中学は卒業していますが、ほとんど忘れていますので、以前から勉強し直したいと思っていました。
 中学を卒業した時、重い気管支炎にかかり治療に1年ほどかかりました。それから高校に行こうと思ってもかつての同級生の後輩になるのが嫌で進学はしませんでした。今思えばそんなことで辞めるなんて若かったですね。20才ごろ東京の美容師学校に2年間通い免許をとり、美容師をしていました。
 結婚し、子供ができ勉強をみてやるようになってから計算はできるが、なぜそうなるのか説明できない自分に気づきました。そういうこともあって時間のできた今もう一度取り組みたいのです。
 夜間中学は楽しいですよ。あれはなに、これはどうなるの、そらこれを解いてと求められるだけではのぼせ上がって出来るものもできません。でも夜間中学では先生方が丁寧に教えてくれます。やればできるという気になります。数学でもプリントの問題を先生が黒板を使って説明することは全部ノートにとります。家に帰って復習のつもりでプリントに取り組むとよく分かります。英語も同じです。日本語は新聞を読んで書く練習をしてきたので読み書きには苦労しませんが、文章をみんなで読みあって話し合いをするのはとてもおもしろいです。体育だけは怪我をしたこともありちょっとついていけません。毎日通うものと思っていませんでしたが、今はできるだけ通おうと思っています。<G・Iさん>