>学校をつくろう!

●●●まちかんてぃ!通信●●●
第12号

連載・聞き書き その9

 去年の9月に新聞でここの夜間中学校を知りました。新聞はだいたい読めます。かなり以前からどうしても勉強がしたいと思うようになっていました。
 昭和18年、小学校4年の始めぐらいまでは生徒数1000人も居るの大きな学校に通っていました。次第に兵隊が入ってきて、午前部、午後部の授業になり、それもたった2時間程の勉強です。そうこうしているうちに学校は兵舎になり生徒は追い出されました。19年の8月に兄と一緒に宮崎に疎開が決まっていました。対馬丸の2回目の航海に乗る事になっていましたが、沈没し取り止めになりました。学校はもうありませんでした。アメリカ軍が上陸するというので父を残し一家でヤンバル(沖縄北部)に逃げました。那覇方面から同じような人たちが大勢来ていました。昼でも暗い山奥に仮小屋を作り、とにかく食べる物を探し回りました。山の草はもちろん夜明け前に海に出て海の草を拾ったり、海水でおつゆを作ったりしました。泥の中を裸足ではいずりまわり口にできるものを探すのです。今日は生きられたが、明日のことは考えられません。この3ヵ月あまりのジャングル生活はヤマトの人には想像できないと思います。山の中には兵隊もたくさんおり、女たちも一緒でした。兵隊は食料をくれと言うのですがやるものなど無いのです。戦争がいつ終わったのか分からず、アメリカ兵から山を降りるようにと言われ始めて知りました。ただ、アメリカ軍は恐ろしいと聞かされていたので姿を見るとみんな逃げます。姉は日本の兵隊を捜しに来たアメリカ兵を見て崖から飛び下りて両足に大怪我をしました。今は名護市のセダケにあった収容所に入りました。配給が少なくここでも腹をすかしていました。栄養状態が悪いのかマラリヤで毎日7〜8人が死んでいきます。生き残った軍医が黄色い錠剤をくれますが、一時は効きますが私も度々マラリヤに犯されました。1年ほどして米軍のトラックに乗せてもらいコザに行きました。コザは食料が豊富でびっくりしました。缶詰、菓子なんでもあるのです。米軍のテントを利用した長屋に住みました。学校は生き残った先生たちが始めようとしていましたが、黒板、帳面、エンピツなにもありません。私だけでなくみんな行きませんでした。食べることが先決ですから。しばらくして自分の部落に帰ってみると土地は飛行場になっていました。どうしようもなく近所の人の土地を借りて芋を作っていました。母がマラリヤと疲労で亡くなり、ついで父が日射病で亡くなりました。病院も薬もありませんでした。私は13歳になっていました。学校にいくよりと建築の雑役をし、兄弟から離れ一人になりました。19才で免許を取り軍のトラック運転手につきました。驚いたことに運転手は運転するだけで、荷物の積み下ろしや雑役はないのです。今まで一番楽な仕事でした。その後は仲の良い社長に誘われタクシー運転手をしました。
 結婚し、4人の子供を育てました。悔しいのは子供に字や計算を聞かれても教えてやれないことです。役所や病院でも困ることがありましたが、やはり自分の子供になにも教えられないことが辛かったです。字を書けない、計算が出来ないことは恥ずかしいことです。酒が入るとお互いのそうしたことをあげつらって、けんかも起き情けなくなります。無学ですと社会に出て困ります。勉強をして、同じ人間としてきちんと肩を並べて歩きたいのです。戦争で亡くなった人も生き残った自分達も戦争の犠牲者です。戦争は絶対やってはいけないんです。
 夜間中学は最高です。先生方が一生懸命でうれしです。学校をつくってもらってありがたく思っています。自分の世代には学校にいけなかった人が多いんです。夜間中学があることを知らない者もたくさんいるはずです。<O・Hさん談>


 夜間中学校を知ったのは夫がインターネットで探してくれたからです。日本には2年半前に来ました。四国の香川県に1年ほど滞在し、その後彼の仕事の都合で沖縄に来ました。
 私はインドネシアの北スマトラ島のメダンという田舎町に生まれました。兄弟8人と両親の10人家族です。私は7番目です。メダンの高校を卒業しています。ジャカルタで仕事を探していましたが、良い仕事がありませんでした。そんな時、日本で養鶏を学ぶ研修生の話があり、思い切って来日しました。1年間の研修を受けている時、夫と知り合い結婚しました。日本語は来日する前の3ヶ月間だけ少しなら習いました。日常会話は少し出来ます。ひらがなはだいたい書けます。カタカナはちょっとだけなら分かります。漢字はとても難しく、彼の名前を書くのもうまくできません。日本の男性と結婚しこれからも日本で暮らしますので、なんとか日本語の読み書きが出来るようになりたいのです。
 夜間中学校はおもしろいです。休み時間にみんなと話をするのが楽しみです。沖縄に来た当時、ホテルでアルバイトをしましたが友達が出来ず寂しかったです。ここではそんなことがなく勉強以外のことでもいろいろ親切に教えてくれます。クラスメイトは皆さん年上ですが、それが良かったかもしれません。私の日本語力では若い人達の早いテンポに付いていけませんから。年上の人達はゆっくり話すので私もなんとか会話に入れます。英語や数学はできます。隣の人に教えられたらいいのですが、日本語で説明できません。日本語の時間は難しいです。言葉の数が少ないので文章を書くのが大変ですし、何を書いたらいいのか分からない時もあります。早く読み書きが上手になりたいと思います。10月に赤ちゃんが生まれる予定です。それはとっても嬉しいことですが、学校を休まなければならないのが残念です。勉強が遅れることも心配ですが、みんなに会えなくなるのが寂しいんです。子供が生まれても学校は続けたいと考えています。<I・Nさん談>