人は「自分を創る」生きものです。その手助けをするのが学校です。私たちのつくる学校は生徒や学生が「授業」をとおして「自分を創る」ための手助けをします。授業という言いふるされた言葉の中に、これからの学校教育の大きな可能性があると考えているからです。あらかじめ用意された知識や技術を身につけるための授業ではなく、生徒・教材・教員の三者の交流から生まれる力を育む授業がそれを可能にします。他者とのかかわりの中で自分を見つめ、納得できる「自分を創る」手助けをするような場が、珊瑚舎スコーレです。
一人前として周りから認められるのに、人間ほど時間がかかる生き物はいません。長い時間をかけて人は育ちます。生涯育ちつづける生き物と言ってもいいほどです。とりわけ、十代の半ばからの十年ほどの時間のなかでどんな体験をし、何を感じ、何を考え、どう体を動かし、人や世の中や自然、そして自分と向い合ったのかで、その人の生き方、物の見方のベースのようなものが形になってきます。知らず知らずのうちに「自分を創る」のです。
珊瑚舎スコーレの教育は、日常生活では体験できない、ほかの価値には置きかえることのできない体験(授業)を通して自由と、自立と、そして平和をもとめる意思を手に入れるための手助けをすることです。
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| 「珊瑚舎」設立の趣意書 |
ひとつひとつ例を挙げるまでもないほど、学校教育の早急な改革をせまるような出来事があいついで起こっています。これらの問題は学校教育という枠だけでくくって考えるべきものではなく、戦後、とりわけ高度経済成長後の日本社会が築きあげた状況に対するひとつの解答としてとらえなければならない性格の問題です。それらの現象に共通することを一言で言えば、「生の空洞化」ということになると思います。この空洞化は、大人社会が陥っている「労働の喪失」や「未来の喪失」あるいは「人間関係の空洞化」などに起因するものであり、さらに、そのような状況をもたらす要因として、「豊かさ」を手にするうえで魅力的な明解さを持つ競争原理とそこから発想される合理性・効率性を優先する考え方や感覚が支配的になったことがあげられると思います。管理的な発想の蔓延もこのあたりに根があるのではないかと思います。これらのことは当然、学校教育にも大きな影響を与えているわけですが、競争原理や合理性、効率
性あるいは管理的な発想を全否定するのは安易にすぎるきらいがあります。そうではなく、比喩的な言い方になりますが、この間に大きな忘れ物をどこかにしてきたということに気づくこと、そして忘れ物を捜そうとする意志をもつことが大切です。それは「知」のありかたを問うことであり、学校教育が担わなければならないことでもあります。学校教育というカテゴリーのなかでこの現象をとらえれば、「学びの喪失」ということだと思います。「教室で学ぶこと」が目的を失って形骸化しているのです。「禁欲と競争」を管理的な手法で維持し勉強させてきた古典的な発想も、高学歴=高収入・ステイタスの獲得という図式が消費社会の出現とともに崩れ始めると、それと軌を一にするように破綻しました。若者が求めるのは生きる喜びや生の充足であるはずです。そういうこととは乖離したところで教室が浮遊しているような状態です。さらに、消費社会がもたらした即物的な拝金主義的風潮が若者たちに実利的感覚をうえつけ、じっくりと
「学ぶ」ということから遠ざけているようにも思います。何のために何をどのように学ぶのかということがきわめて曖昧な状態になり、明治以来の「学校教育の型」を維持するために教員と生徒がいるような、ある種の社会的通過儀礼の場になっている
のです。「学び」の問い直しと実践の場が必要なのです「学ぶ」ということにはもちろん実利的な側面があります。しかし、その本質は自らの意志で自らを創ること、つまり自己創造の喜びである、ということです。若者ひとりひとりが「教室で学ぶこと」のなかにこの喜びを発見できるような場が必要なのです。学ぶことが生きる力となるような教育が必要なのです。学校教育はこのことを見失ってはなりません。その手助けの場としてあり続けなければなりません。珊瑚舎はその役割を果たしたいと思います。十代の半ばから二十にかけての若者たちが学ぶための場を作ろうと思います。私塾としてではなく、学校法人として学校教育制度の可能性を具現化しようと考えました。教育基本法の具現化でもあります。専修学校(文化・教養関係)の高等課程(三年間)と専門課程(二年間)として開校します。高等課程は「思索と芸術表現」を中心に卒業後、大学受験資格が得られるカリキゥラム編成をします。専門課程はアジア、とりわけ南シナ海を囲む諸国、諸民族の言語
(中国語、マレー語系言語、アジアンイングリッシュなどを予定しています)の修得と総合学習としての平和学を中心にしたカリキゥラムを編成し、卒業後、希望者に対してはフィールドワークを中心にした専攻科(一年間)を設置する予定です。開校の予定地として沖縄県を考えています。日本語圏のなかに琉球文化圏が位置していることは貴重なことであり、来世紀にむけて重要な意味を持つにちがいない南方文化の創造と発信の拠点として南にひらかれた沖縄県はその役割を担うにちがいないと考えるからです。珊瑚舎の教育活動も微力ながら、その一翼を担いたいと思います。珊瑚舎の教育は状況に対するアンチテーゼでもなく、オルターナティブな価値を提示するものでもありません。人間という存在だけに備わった能力である「思索し、創造し、表現する」こと、つまり「創造」する力の解放を実践する学校教育の本来の姿をつくりだそうとしているのです。御協力、御援助をお願いいたします。
1996 年7月30日
珊瑚舎設立準備会代表
星野 人史
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